39歳で発症し、投薬治療を半年、人工透析を2年続け、42歳で生体腎移植(腎移植は、親族から腎臓を提供してもらう生体腎移植と、亡くなった人から提供してもらう献腎移植がある。健康な身体にメスを入れるよりも、亡くなった方からの移植のほうが望ましいが、日本では生体腎移植が約85%を占めている)を受けた松原さん。
1年でも2年でも長生きをするのが恩返し
激闘の3年間だったと振り返る。
「あのときの自分を“本当によく頑張った”と褒めてあげたい。手術をして2週間でコンサートがあり、そのために退院しました。大きな声を出したら縫ったところが破けてしまうのではないかと不安で、お腹を押さえながら歌ったんです。
担当の医師も舞台袖で見守ってくださって。お客さまも“お帰り、のぶえちゃん”と声をかけてくださって。弟の腎臓をもらって戻ってこれたって、そう心の底から思いました」
その後も2か月ごとに、血液検査などを行っているが異常なし。今の心配事を伺うと。
「年齢を重ねていくと、若いころにかかった病気が再発しやすいと聞きました。私は腎臓に爆弾を抱えているのは間違いないから、無理しないで、身体をいたわっていこうと思っています。みんなに支えられて、もらった命だから、1年でも2年でも長生きをするのが恩返しなんじゃないかと思っているの。
心配なのは弟のこと。私のために腎臓を1つ取ってしまい、もし身体に不調が出てきたらどうしようという不安がいつもあるのね。でも『もらったものは返せない』じゃないですか。
それぞれが1つしかない腎臓(腎臓が1つになると機能が70~75%くらいになるといわれている。レシピエント=腎臓をもらった側もドナー=提供側も手術後は定期的な検査が望ましい)で生きているから、お互いに節制しないとね」
健康のために気をつけているのはどんなことか。
「当たり前だけれど、バランスの良い食事、よく眠ること、そして運動。私はあまり外に出ないので、家にいろんな健康器具があふれています(笑)。窓のとこでは足踏みマシンで20回、トイレの帰りにウエストひねり10回と、ながら体操を意識して。それから、病院で定期的にメンテナンスすることも大切。皆さんも、身体のメンテナンスはちゃんとやってくださいね」
取材・文/水口陽子
1961年生まれ、大分県出身。高校生の時に歌手を志して上京。'79年に『おんなの出船』でデビューし、日本レコード大賞をはじめ各歌謡曲賞で新人賞を受賞。'85年から『NHK紅白歌合戦』に7回出場。歌謡指導なども行い、現在はコンサートを中心に活躍中。