「被爆後の市街地に立つ少女」
「被爆後の市街地に立つ少女」は、当時、毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男さんが撮影したものだ。カタログによると、原爆投下から3日後の8月9日午前、大阪から派遣された取材班の一人として国平さんは広島市に入り、市街地の惨状を撮影した。
戦後50年の1995年7月、毎日新聞大阪本社夕刊に掲載した回想記の中で、「『頑張るんだぞ』。頭をなでて別れた」などと、撮影時を振り返ったという。その後、家族や知人らの証言で、この少女の氏名などが判明した。少女は、当時、10歳だった。戦後、結婚して2児をもうけたが、骨髄がんのため42歳でこの世を去っている。
《1人の被爆者が経験した惨禍とその人生、核兵器の非人道性を伝える1枚として、広島平和記念資料館本館入り口に2019年から常設展示されている》
カタログは、このように少女の写真について紹介している。
今年6月、戦後80年の節目にあたり、天皇、皇后両陛下は1泊2日の日程で広島県を訪問した。天皇陛下は、宮内庁を通じて感想を公表している。
《平和記念公園を訪れ、原爆ドームと平和の灯を望みながら、原爆死没者慰霊碑で花をお供えし、80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました。
この後、被爆遺構展示館と広島平和記念資料館を訪れました。一つ一つの展示品や写真から伝わってくる原爆被害の悲惨さに深く心が痛みました。また、被爆前後の広島の街や人々の様子などについて理解を深めるとともに、原爆被害の実相を肌で感じることができました》
広島平和記念資料館を訪れた天皇、皇后両陛下はおそらく、この「被爆後の市街地に立つ少女」の写真と対面して感慨深い気持ちになったことであろう。
今年2月23日、65歳の誕生日を前にした記者会見で天皇陛下は、戦争の歴史とどう向き合うのかと記者から尋ねられ、次のように答えている。
「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております」
また、6月、来日中のドイツのシュタインマイヤー大統領と皇居で面会した際にも陛下は、翌日から広島を訪問することを伝えたうえで、「過去の記憶を次の世代につなげていくのは大変、重要なことだと思う」などと話している。
《各地で戦争がやまない今、80年前の「あの日」を決して繰り返させないとの決意とともに、惨禍の記録を次の世代へ継承することが求められている》と、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」の主催者もカタログで訴えている。
記録を残し、記憶を継承することはとても重要なことである。しかし、一歩進めて、「やはり核はなくならないといけないですね」という秋篠宮さまの言葉にあるように、核兵器廃絶に向けた努力が今まで以上に、唯一の被爆国の国民である、私たちに求められているのではないだろうか。
特に、アメリカやロシア、そして中国など、核保有国の指導者たちは、「原爆被害の実相を肌で感じる」必要があると思う。佳子さまは、どのように考えるだろう。
この企画展は8月17日まで、開かれている。
<文/江森敬治>