山中則男氏と中山美穂さんのツーショット。「美穂が亡くなる1年前、2人で撮った最後の写真です」(山中氏)
山中則男氏と中山美穂さんのツーショット。「美穂が亡くなる1年前、2人で撮った最後の写真です」(山中氏)
【写真】柔らかな笑顔を向ける中山さん、亡くなる前に撮った恩師とのツーショット

 しかしレッスンをしながらテレビドラマや映画、レコード会社のオーディションを受けたが、2年たってもチャンスはなかなか訪れなかった。

「このころ、アイドルとして活躍していた歌手やタレントは、いわゆる狸顔ばかり。猫顔の美穂のような顔立ちは少し時代が早すぎたんです。それでも次に来るのは絶対に猫顔だと信じてオーディションに挑戦し続けました」(山中氏、以下同)

 しかし山中氏がつくった個人事務所の資金繰りは火の車状態。

─もうダメかもしれない。

 そう思い始めたころ、かつての部下から声がかかる。それが伝説のテレビドラマとなる『毎度おさわがせします』のヒロイン、森のどか役のオーディションだった。

『毎度おさわがせします』は、性への関心が高い中高生の繰り広げるエッチな騒動をコミカルに描いたゴールデンタイムのドラマ。オーディションの末に、

中学2年生で「下着姿や入浴シーン」も

「彼女でいくよ。目力がいい」

 そうプロデューサーに言われ、演技経験のない美穂さんはチャンスをつかんだ。ところがいざ台本を開いてみると、山中氏の目は点になった。

「口にするのもためらってしまうような性に関する過激なセリフがたくさん入っている。下着姿や入浴シーンもある。アイドルとして育てていこうとしている中学2年の美穂にやらせるか悩みました」

 しかしそんな心配をよそに美穂さんは、

「私、スターになりたい。テレビに出たい。チャンスを逃したくない。だから大丈夫」

 と気丈に振る舞ったという。1985年1月。番組がスタートすると「不謹慎だ」といった声もある中、ドラマの視聴率は週を追うごとにうなぎ上り。事務所には仕事の依頼が殺到。ファンからの応援の電話が24時間鳴りやまなかった。