
《飛行機から見て、まず海がきれいだという第一印象を持ちました。沖縄がたどって来た道はけわしいものだった。皆でこれを理解していくことが大事です。
沖縄に関心を持ったのは、豆記者が刺激になった。沖縄を訪れて感じたことは、県民が平和国家、文化国家を強く、厳しく求めている、ということです》(文春文庫『新天皇家の自画像』より)
上皇ご夫妻による沖縄県訪問

今から半世紀前、戦後30年の節目の1975年7月、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの祖父母にあたる上皇ご夫妻(当時、皇太子ご夫妻)が、沖縄国際海洋博覧会の開会式に出席するため、初めて沖縄県を訪問した。
糸満市にあるひめゆりの塔で、壕に潜んでいた過激派の男がご夫妻に火炎瓶を投げつける事件が起きたが、同年8月26日、東宮御所で行われた記者会見で上皇さまは冒頭のように答えている。
また同年12月、42歳の誕生日を前にした記者会見で上皇さまは、「沖縄海洋博の入場者数が、予想されたほどに伸びていませんが」と尋ねられ、次のように語っている。
《成功、不成功は海洋博を見に来た人に(海洋博や沖縄が)どのように映ったかということでしょう。復帰前に(本土で)育った人は沖縄に対する認識が不足で、私などもそうでした。沖縄への関心を持ったのは、毎夏(本土を)訪れる豆記者の存在が大きかった》
《沖縄の歴史は心の痛む歴史であり、日本人全体がそれを直視していくことが大事です。避けてはいけない。(しかし、現実は)琉球処分の時代から戦後の復帰まで、私たちはあまり学んできたとはいえない。海洋博が沖縄を学ぶことの導火線になればと思います。これからも機会があれば何回でも行きたい》(『新天皇家の自画像』より)
先の大戦末期、1945年3月から6月にかけて、沖縄に侵攻したアメリカ軍と旧日本軍との間で国内で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われた。この沖縄戦で、一般住民や軍人らの犠牲者は約20万人(推計)にも上るとされる。
1960年代初めから、本土と沖縄の小中学生が相互訪問する「豆記者」の派遣制度が始まったが、前述した会見でわかるように、沖縄からの「豆記者」たちとの出会いと交流が、上皇さまが沖縄に深い関心を寄せるきっかけとなったようである。
その「豆記者」たちが今年7月30日、東京・元赤坂の赤坂東邸を訪れている。秋篠宮ご夫妻や佳子さま、長男で筑波大学1年生の悠仁さまは、沖縄の小中学生35人と面会し、懇談した。
沖縄から派遣された小中学生たちは東京都内で「豆記者」として記者の仕事を体験し、首相官邸では石破茂首相とも面談している。宮内庁によると、ご一家は約30分間、彼らから取材活動や東京滞在中の様子、沖縄の自然や文化などを聞いたという。
このように、沖縄の人たちがたどってきた長く険しい道のりに、深く思いを寄せる上皇さまやご家族と「豆記者」たちとの交流は続いており、平成では現在の天皇、皇后両陛下に、令和になってからは、秋篠宮ご夫妻に引き継がれている。
今回、悠仁さまは2回目の参加だったが、佳子さまは初めて参加した。今年が戦後80年の節目であることが大きく影響しているように思う。
「戦後80年の節目となる本年、被爆地広島を幹事県として、このたびの大会が行われ、ここに集う人々が、共に過去を振り返り、未来に向けて平和への思いを新たにする機会を得ることは、非常に意義深いことと思います」