原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼

広島市で、平和の大切さを広める活動をする甲斐なつきさんと懇談する秋篠宮ご夫妻(2025年7月23日)
広島市で、平和の大切さを広める活動をする甲斐なつきさんと懇談する秋篠宮ご夫妻(2025年7月23日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の総合開会式に出席するため、7月23日から1泊2日の日程で、広島県を訪れていた秋篠宮ご夫妻は23日、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。

 また、ご夫妻は広島平和記念資料館で、高校生平和大使を務める被爆4世の甲斐なつきさんらと懇談した。昨年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したが、甲斐さんはノルウェーの首都オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式に出席し、現地で同世代の高校生と平和を考える授業も行っている。

 甲斐さんはノルウェーで原爆の悲惨さを訴えた経験などを説明した際、秋篠宮さまから、「最初はどういう反応がありましたか」と質問されたという。

 翌24日、ご夫妻は広島市の県立総合体育館で行われたインターハイの総合開会式に出席し、秋篠宮さまは前述したように挨拶している。

 以前、この連載で紹介したように、広島訪問の2週間ほど前の7月11日、秋篠宮ご一家の4人は、東京都写真美術館を訪れ、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学していた。

《この展示では、昭和20(1945)年8月6日、広島に原爆が投下された直後に市民や報道機関のカメラマン、写真家が葛藤しながら記録した写真約160点と映像2点が公開されています。

 両殿下、内親王殿下並びに親王殿下は、初めに、本展を企画した中国新聞社の担当者から、原爆投下直後に爆心地から2・2kmの御幸橋西詰めで撮影された写真の説明を受けられました。その後、きのこ雲や被爆した街や市民の様子、困難を極めた救護活動の様子、そして被爆後も懸命に生き抜こうとする市民の姿などの写真や映像の説明を受けられながら、つぶさにご覧になりました》

 このように、宮内庁のホームページでは企画展を見学したご一家の様子を公表している。報道によると、秋篠宮さまは、「かなり爆風が強かったんですね」「やはり核はなくならないといけないのですね」という思いを口にし、悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じました」との感想を述べたという。

 さらに、企画展のカタログは次のように説明している。

《(略)原爆は、島病院の上空約600メートルでさく裂した。直後に発生した火球の中心温度は摂氏100万度を超え、爆心地周辺の地表は3000度から4000度、爆風は秒速約280メートルに達したとみられている。そこに生身の人間がいた。何が起こったのかも分からぬまま瞬時に焼かれた。爆心地から2キロ以内の建物ほぼ全てが破壊し、焼き尽くされていた(略)》

 このような、非人道的な核兵器の廃絶を求める声は世界中で高まっている。核兵器がなくなる日まで、この思いは、佳子さまたち若い世代へ、さらに次世代へとしっかり継承されなくてはならない。今年は佳子さまにとって、戦争と平和について思いをめぐらす夏になったようだ。