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ー 朝ドラ史上初の試み

 

 放送中の朝ドラ『あんぱん』(NHK)も佳境を迎え、9月29日からは新しく『ばけばけ』がスタートする。『ばけばけ』のヒロインの夫のモデルになったのは小泉八雲(本名はラフカディオ・ハーン)という作家で、ギリシャ生まれの外国人。ヒロインの夫が外国人というのは朝ドラ史上初で、注目を集めている。

朝ドラ史上初の試み

 小泉八雲とはどのような人物なのだろうか?

「八雲は幼少期に両親が離婚し、捨てられて自分の家族に裏切られる、つらい経験をしました」

 と話すのは常葉大学外国語学部講師で焼津小泉八雲記念館アドバイザーの那須野絢子さん。

 八雲は大叔母に引き取られることになる。16歳のときには遊具が目に当たり、左目を失明してしまう。

「失明前の八雲は、明るい性格で学校でもムードメーカーのような存在でした。左目が醜く潰れてしまったこともあって、失明してからは容貌に対するコンプレックスが強くなったようです。

 人から正面で見られることを嫌うようになりました。だんだん内向的な性格になっていったといわれています。ただ、目が不自由だった分、聴覚が優れていったことが後の文学の才能の開花につながっていきます」(那須野さん、以下同)

 八雲は19歳で渡米し、その後ジャーナリストになる。そこで、黒人の血を引く女性、マティー・フォリーと出会い、恋に落ちたが……。

「19世紀から20世紀初頭のアメリカでは白人と有色人種との婚姻は法律で禁じられていました。州によってその法律が撤廃される時期は違いますが、八雲はマティーさんと結婚式を挙げたことで、会社を解雇されてしまいます」

1767人のオーディション応募者の中から、小泉八雲がモデルのヘブン役に抜擢されたトミー・バストウ(NHK公式サイトより)
1767人のオーディション応募者の中から、小泉八雲がモデルのヘブン役に抜擢されたトミー・バストウ(NHK公式サイトより)

 しかし、マティーとは破局を迎えてしまう。2人の間に子どもはいなかった。

 八雲は1884年の万国博覧会で日本に興味を持ち、1890年に来日。住み込みで世話をする小泉セツと結婚し、夫婦仲はむつまじかったという。

「焼津小泉八雲記念館には2人の書簡があります。夫婦で手紙を送り合っていて、『焼津で息子たちとこんなことしたよ、息子が水泳がうまくなったよ』など日常を手紙にしていました。日本語が得意ではない八雲が、片言の日本語で一生懸命、セツに手紙を書いていたところに愛を感じますよね」

 八雲は作家として『耳なし芳一』『ろくろ首』といった怪談を英語で語り直して世界に広めたが、日本語があまり得意ではないのに、どうやって日本文化の本を書いていたのだろうか。

「八雲の教え子や友人が日本語の文献を英語に翻訳して八雲をサポートしていました。妻のセツは古本屋を渡り歩き、八雲が好きそうな怪談話を頭に入れて夜な夜な怪談を語って聞かせた。その怪談を聞いて八雲が作品を書いたという経緯があります。

 八雲はただ英訳したというわけではなく、日本文化を尊重しつつ、西洋文学のアイデアも加えながら、文化を融合して作品を書きました。八雲の異文化理解の眼差しというのも、皆さんに知ってほしいですね」

 波瀾万丈な人生を送った八雲だが、『ばけばけ』ではどのように描かれるのか、楽しみだ。