甲斐性がない夫に代わり父親役へ

 ヨシエさんが結婚したのは33歳のときだ。相手は、仕事を通じて知り合ったひと回り下の20歳前後の男性で、「できちゃった結婚」だった。

 結婚後は講師の仕事を辞め、ヨシエさんの実家で暮らした。だが、長男を出産すると、出産だけでなく、結婚自体を後悔した。1年もたたずに夫が給料を家に入れなくなり、ヨシエさんの両親に多額の借金までするようになったのだ。

「20歳前後の若さで結婚なんかさせられて(笑)、ダンナにはダンナの言い分があるとは思いますよ。最初のころはパチンコで使ったとか言ってたけど、何百万円も何に使ったのか今でもわからないです。話し合いも何回かしましたけど、しょうがないだろうと開き直られて……」

 当然、離婚も考えたが、母に止められた。「子どもに罪はない」となだめられて思いとどまったが、心の整理には時間がかかった。

「私はもともとウジウジした性格なんです。自分に自信がないから、人間関係で何か嫌なことがあっても立ち向かうのが苦手でした。だから、夫にも強く言えず逃げていたんです。でも、これ以上、悩んでいても仕方ない。私の子どもなんだから、夫に頼らず育てよう。そう覚悟を決めたんですね」

 長男が2歳になり、ヨシエさんは秘書の仕事を見つけて働き始めた。地方では女性の就職口は少ない。35歳であればなおさらだ。会社は隣県にあり、通勤に片道1時間弱かかったが、正社員として就職できたことを「本当に奇跡だった」と振り返る。

 子どもの世話と家事の一切を両親に任せた。ヨシエさんは一家の大黒柱として、「1円でも多く家に持ち帰ることが自分の役割だ」と割り切っていた。

 毎日残業もこなし、子どもが熱を出しても仕事を休まず懸命に働いた。だが、会社には男尊女卑の考え方が色濃く残っており、女性が稼ぐことは難しいと痛感したそうだ。

「最初の手取りは月15万~16万円。それでも地方では高いんですよ。一人っ子では長男がかわいそうだと思い、3年後に次男を産んで復帰したら、給料を1万円下げられたんです(笑)。

 育休中に何度も人事に呼び出されて『あなたが戻る席はない』と言われて、不安しかなくて。今ならマタハラですけど、20年前は、女性の正社員はだいたい、育休中に辞めさせられたんです。私のポジションは運よく席が空いて戻れたんですけど」

 ヨシエさんは役職にも就き、何度か昇給したが、夫がいるという理由で給料は低く抑えられた。後から入社した男性新入社員にも次々抜かれたという。それでも、“自分の稼ぎで家族を養って、カッコいいな私”と言い聞かせて、バリバリ働いた。