とはいえ、1年目に発売されたソフトは20本にも満たず、子どもたちは1本のソフトを繰り返し遊び、遊び方を工夫しながら楽しんでいた。そんな状況を敏感に察知した他社メーカーは、1984年後半から続々とファミコン市場に参入する。

『ゼビウス』は一大ニュースに

 ハドソンの『ロードランナー』、ナムコの『パックマン』『ギャラクシアン』などアーケードの人気作が登場し、特に1984年の縦スクロールシューティングゲームの『ゼビウス』はアーケード版が大ヒットしたため家庭用に移植されたこと自体が大きなニュースに。

 1985年にはジャレコ、タイトー、コナミ、アイレム、エニックスなど多くのメーカーが本格参入し、ついに同年9月13日、『スーパーマリオブラザーズ』が発売。ここからファミコンは国民的ゲーム機として不動の地位を確立していった。

「振り返れば、当時の子どもたちを熱狂させたゲームは、今では語られる機会の少ないタイトルばかりです。しかし、これらの“忘れられた名作”こそが、家庭用ゲーム文化の基礎をつくり、のちの大ブームを呼び込む原動力となったと言えると思います。

 ファミコン1年目は少ないラインナップながらも確かな熱気を持ち、ゲームが家庭に根付いていくまさに“夜明け”とも言える年でした」(サブカルライター蒼影コウ氏)

 あの時のファミコンキッズの熱中が、40年後、2兆円を超える令和のゲーム市場を生み出す原点となったのだ。