村上が旧ジャニーズ事務所に入所した1996年ごろの“アイドル”は、音楽をやりながらドラマや映画に出演するのが主で、現在ほど活動の選択肢がなかった。
「しかし、ドラマや映画には“標準語”の役ばかり。村上さんのアイデンティティーである“関西弁”を矯正するべきか悩んでいたそうです」
そんなころ、関西出身の大先輩が、村上を導いたという。
村上が学んだ“キンキの流儀”
「KinKi Kids(現DOMOTO)の2人が、関西弁をオープンにしていたのを見て“これでいいんや”と感じたといいます。それ以来“素”のしゃべり方を出していった結果、視聴者からの反応がよかったそうです」
“キンキ”の流儀から学んだことで、
「年上の共演者や経営者ともフランクに話せるようになったとか。世間にそのイメージが定着するまでは“なれなれしい”と言われることもあったそうですが、相手へのリスペクトを持ってやり続けたことが、今の村上さんの地位を築くことにつながったのでしょう」
報道陣に、再び講義を行う可能性を聞かれた村上は、
「スポットで話をしただけ」
と謙虚な姿勢。それでも、全国の大学生が、村上の“男道”を学べる機会を待ちわびていることだろう。











