「持病の悪化などが重なり8か月ほど入院していたんですが、別の病院に転院して、リハビリを始めましょうってタイミングで亡くなってしまったので、周囲も含めていまだに信じられないんです……」
複雑な心境を明かしてくれたのは、2025年7月23日に慢性腎不全で亡くなった皆川おさむさんの姉・礼子さん。今でもフラっと家に帰ってくるのではないかと思うときがあるという。
「もともと腎臓は悪かったんですが、ほかの部分の手術を繰り返しているうちに、腎臓を含めたほかの臓器も悪くなってきてしまって。
前日の夜は普通にごはんを食べていたみたいだから、本当にスーッと眠るように逝ってしまったんだと思います」(礼子さん)
皆川さんは3歳のときに、伯母の和子さんが創設した「ひばり児童合唱団」に所属。6歳だった1969年にリリースした童謡『黒ネコのタンゴ』が200万枚を超える大ヒットとなり、子役としても活躍した。
「声変わりを機に芸能界を引退し、大学卒業後はグラフィックデザイナーとして活動していましたが、和子さんが亡くなった後は合唱団の代表を務めていました」(スポーツ紙記者)
合唱団のOGには由紀さおり・安田祥子姉妹がおり、吉永小百合も創設者だった皆川和子さんから歌の個別指導を受けていた縁で、おさむさんとは昔から親交が深かった。
「吉永さんは、おさむの通夜の日に映画の舞台挨拶が入っていたのに、わざわざ終わった後に駆けつけてくださったんです。30分ぐらいいらっしゃったかな。信じられないといった感じで“まだ若いのに、なんで……”と驚いていましたね。告別式には由紀さんと安田さんも来てくださって、合唱団の団歌まで一緒に歌ってくださいました」(礼子さん、以下同)
合唱団を引き継いだのは
2014年に和子さんが亡くなってから、毎年の命日には必ず吉永から花が送られてくるという。時間がたっても“昔の恩を忘れない”という律義な姿勢は、おさむさんも影響を受けていたようだ。
「吉永さんが20代で、おさむもまだ小さいころに一緒にドラマに出ていて、そのときに楽屋で勉強を見てもらったりしていたんです。そこから50年以上、ずっとおさむや合唱団のことを気にかけてくださっているのはありがたい限りですね。おさむも小百合さんは本当にすごいってよく言ってましたから。“人から受けた恩は返す”ってことを、吉永さんが教えてくれていたのかもしれませんね」
合唱団の運営は、礼子さんが引き継ぐことになった。伯母の代から80年守り抜いてきた火は、絶対に消さない。
「私も年なのでいつまでできるかわからないけど、続けていかないとね」















