日本時間(以下同)4月23日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に“1番・投手兼DH”で出場した大谷翔平。この試合では4打数無安打で、昨年8月から続いた連続出塁記録が53試合でストップしたが、投手としては圧巻の結果を残した。
「今シーズン4度目の登板で、6回を無失点に抑えて三振は7個奪う好投。最速100・6マイル(約161・9キロ)を記録し、防御率もリーグで断トツのトップとなりました」(スポーツ紙記者)
ピッチャーとしても進化を続ける大谷。サンフランシスコ・ジャイアンツで、日本人初のメジャーリーガーとしてプレーした“レジェンド”の村上雅則さんはこう話す。
「今年の大谷くんは速いボールだけでなく、カーブをうまく使っており、投球の幅が広がっているのがすばらしい。サイ・ヤング賞も狙えるくらいの投球でした。ただ、私はジャイアンツのOBなので少し複雑な思いでしたが(笑)」
4月19日の敵地で行われたコロラド・ロッキーズ戦の前には、こんな場面があった。
「試合前の練習後、ベンチ前にいた日本人女性にサインボールをプレゼントし、握手をしていました。この女性はユタ州ソルトレークシティー在住で、2月に100歳を迎えた中本ケリー桃代さん。長崎県出身で19歳のときに原爆が投下され、“もう少しで死ぬところだったけど生き残った”と振り返っていました。
終戦後、福岡のアメリカ軍基地で働いているときに航空隊員だった男性と結婚して、アメリカに渡りました」(在米ジャーナリスト、以下同)
結婚を反対されて縁も切られた
桃代さんのような第2次世界大戦後にアメリカ人の兵士と結婚し、渡米した女性は“戦争花嫁”と呼ばれている。
「当時の日本とアメリカは、感情的にはまだ“敵国”。戦争花嫁の中には家族から反対され、縁を切られた人もいたそう。
アメリカに渡っても地域によっては人種差別があった時代。夫の家族や現地のコミュニティーに快く受け入れてもらえなかったり、差別や偏見に苦しむケースもありました」
今年で戦後81年。戦争を体験した人も少なくなり、アメリカでの差別や偏見もだいぶなくなってきたといわれる。
1964年と1965年にアメリカでプレーした前出の村上さんは当時をどのように覚えているか。日系アメリカ人との、あるエピソードを明かす。
「ドジャースとの試合で審判の判定に文句を言ったことがあったんです。その後、サンフランシスコのレストランで日系の人に“ミスター村上、よくやってくれた!”と声をかけられて。
“戦争で財産を取られて、施設に入れられ、アメリカ人に逆らえなかった。そのアメリカ人におまえは文句を言った。あれで俺たちはスッキリした!”と大喜びしていた。あの100歳の女性も、大谷くんがアメリカで活躍してくれてうれしいと思うよ」
大谷の活躍が平和の懸け橋になっている。





















