こんにちは。浜木綿子でございます。早速ですが、前回からの続きです。役作りのお話を─。
私がいただく台本には消してもらった言葉があって……
私は、たくさんの役に出逢いましたが、そのモデルとなった方がお亡くなりでしたら、お墓参りは必ずいたします。'88年の帝劇公演『陽暉楼』で私が演じた主人公は、高知の芸者・胡遊さん。
この方は他界されていました。私たち出演者とスタッフは、取材とキャンペーンを兼ねて高知へ。胡遊さんのお墓に額ずいていますと、女性たちの声が。何人か当地の方が出迎えてくださったのです。みなさんは胡遊さんの舞のお弟子さんだと言われてビックリ。
「今夜のお座敷で、胡遊さんの思い出話をいたしますね」と、仰ってくださいました。そこで私たちは夜、立派な料亭で胡遊さんのお話を聞かせていただいたのです。セピア色に褪せていた数枚のお写真も見せていただきましたが、すごい美人。姿も美しい。
「エーッ、これは困った! 私とは違う……」
お弟子さんは続けます。
「性格はね、黒を白だと言い切れるような方。ズバッと言うけど悪意はないの。それに情が深い人でしたよ」
この役作りは大変だ……と、思いましたが、忠実に胡遊さんに近づくべく精いっぱい務めようと決意しました。その後、いただいた台本のト書きに《美人が現れる》とあって、慌てました。
「ここ、消してください」
脚本家は、
「えっ、何で? じゃ何と書きますか!?」
「ええっと……、可愛い人、にしてください!」
私は昔から「美人」という言葉に違和感があるのです。それは私のことじゃないから……でしょうね、きっと。その後、台本から「美人」という文字は消えました(笑)。「可愛い人」とか、役名で書いてくださるようになったのです。
舞台の原作者にもお会いしました。小説家の宮尾登美子先生は、ご自宅に伺うと、頭にハチマキをなさって机に向かっておられ、こんなことを仰いました。
「私はね、髪の毛が1本1本抜けるような思いで作品を書いています。ですから、1文字たりともセリフを間違っては嫌ですョ」
「でも先生!! 私はセリフを変えることを許していただきたいのですが……」
すると宮尾先生が、
「アラ、怖いわね。例えば、どのように変えたいの?」
と、語気を強めて。
「その、語尾などを変えたいのです。そして……」
次の言葉は我慢しました。もっとお話をしたかったのですが、先生は、
「その程度なら、まあいいけど。そういう思いで作品を書いているということは念頭に入れておいて」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
ホッとした思いで先生宅を後にいたしました。
橋田壽賀子先生には熱海のご自宅でお会いしました。ご自宅の近くに畑があり、大きなお大根をお土産にいただいて。その太いお大根を何日もかけて美味しくいただきました。橋田先生は、いつも私を気にかけてくださって、
「あなたはこれまでの人生を耐えて、一生懸命に生きてきたのに、息子さんが歌舞伎のほうへ。彼も苦労するし、あなたもまた大変だわね……」
息子の香川照之のことも気にかけてくださって、ありがたかったです。先生!! お逢いしたいです……。
このように私は多くの人に出逢い、数々の役を生きて、これまで育てていただきました。「人生は最期まで教えを請う」ですね。みなさんは、どう思われますか? では、またネ。
イラスト・デザイン/山口拓真
1935年、東京都生まれ。宝塚音楽学校卒業。’62年に文化庁芸術祭奨励賞、’73年にゴールデン・アロー賞、’89年に菊田一夫演劇大賞、’95年に橋田賞などを受賞。2000年に紫綬褒章、’14年に旭日小綬章を受章













