女優としての才能も開花
1975年6月24日、静岡県伊東市内にある加藤名義の別荘で過激派(革労協)の活動家10人が会合を行っていたところ、敵対する過激派(革マル)が急襲。1人死亡、1人重体、8人重傷という大惨事となった。結婚会見を開かなかった夫婦は事件翌日、釈明会見を開いた。前代未聞である。
《できるだけ多くの人に使ってもらおうと思って、親戚や知人に気軽に利用してもらっていました。その意味ではひじょうにうかつだったともいえます》(『週刊平凡』1975年7月10日号)
このとき、加藤登紀子は31歳。現在のあいみょんと同じ年齢である。あいみょんが同じ境遇に立たされたら芸能活動をしばらく自粛することになろうが“お登紀さん”は、何事もなかったかのように新曲を次々と発表する。
それどころか'80年代に入ると女優としての才能まで開花。『居酒屋兆治』(監督・降旗康男/東宝)では高倉健の妻役を熱演し、山田太一脚本のテレビドラマ『深夜にようこそ』(TBS系)で千葉真一の妻役を好演していたのは筆者の記憶にもある。
石原裕次郎最後のシングル『わが人生に悔いなし』(作詞・なかにし礼)を作曲したのもこの時期だ。ラトビアの歌謡曲をアレンジした『百万本のバラ』(作詞・加藤登紀子/作曲・アンドレイ・ヴォズネセンスキー)のヒットで、1989年には2度目の『紅白』出場。なお、夫の藤本敏夫は2002年に58歳で鬼籍に入っている。
伴侶を失くした後も加藤登紀子が第一線から退くことはなかった。2016年以降は『FUJI ROCK FESTIVAL』にもたびたび出演。82歳を迎えた昨年末の『ほろ酔いコンサート』には、タブレット純をゲストに招いている。
『サンデーモーニング』(TBS系)などに時折出演しては、現在の政治状況を躊躇なく指弾する論客としての顔も持つ。その都度、SNSで叩かれるのは恒例行事のようなものだ。
あるとき《加藤登紀子はただの左翼になってしまった》といった皮肉めいた投稿を見かけた。まともに取り合うこともないと思うが、これだけは述べておきたい。
彼女は「ただの左翼」ではない、と。
取材・文/細田昌志



















