堂々と歌い上げた中森明菜
しかし、ここからが圧巻だった。鳴りやまない帰れコールの中、単身殴り込みにいくように、明菜は堂々と歌い上げたのだ。
「発破かけたげる さあカタつけてよ やわな生き方を変えられないかぎり 限界なんだわ 坊やイライラするわ」
歌詞がここまでストレートに伝わることになろうとは、観客も視聴者も誰一人想像していなかったはずで「帰れコール」は明菜の凄味を認識させるための養分にしかならなかった。もっとも明菜本人も、この日の『ザ・トップテン』は印象深かったらしく、後年こう述べている。
《私1回だけ生放送で『帰れ、帰れ』っていわれたんだもん。生放送だから音が全部入ってんの。で、ほとんど泣きだしそうなのを、んーってガマンして歌って戻ってきたの。そしたらマッチが笑顔で出てきて『ヨッ!』っていうから、私怒っちゃってさ。そのころまだ若くて切れちゃって(笑)》(『JUNON』1991年7月号)
中学生だった筆者の眼には、この頃より2人の立場は逆転したように見えた。
「マッチと明菜」から「明菜とマッチ」の表記が増え始め、明菜の曲はいずれもチャート1位を連発。『ミ・アモーレ』と『DESIRE–情熱–』で女性歌手初となる2年連続日本レコード大賞を獲得するなど、アイドルの枠を超えて、日本を代表する歌姫へと変貌を遂げたのだ。
2年前「明菜は許せん」と憤慨していた筆者の同級生の女子が「明菜の新曲いいよね」と言うようになったのは一例で、2人の交際は世間的にどうでもいいことになりつつあった。
となると、関係を壊したくなるのが男の性である。
'86年8月31日、筑波サーキットで行われた「86レース・ド・ニッポン筑波」に近藤真彦が参戦。自己最高となる5位入賞をはたすと、終了後、マッチはスタンド上部のVIP席にⅤサインを送った。集まったファンや報道陣は「明菜がいるのかも」と色めき立ったが、そこにいたのは明菜ではなく、白のノースリーブのワンピースにサングラスの女性である。



















