佐藤浩市
 ’12年から客員教授を務める東北の大学で、このたび講義を行った佐藤浩市。“青春期に学ぶべきこと”というテーマで持論を語りつくした。

 今回の講義のテーマは、“青春期に学ぶべきこと”。学科長の山川健一氏が聞き手になるかたちで、約300人の学生に向けて思いを伝えた。

「前回は“スター・佐藤浩市を見に来る”という感じも少しありました。でも今回は、もっと突っ込んだ質問もできたし、非常に温かい講義になりましたね」

 一緒に登壇した山川氏も、2度目となった今回はさらに有意義な話を聞けたという。佐藤は自らの心の中を包み隠さずにさらけ出した。

「はじめのトピックは“20歳のころの夢は何だったのか?”というものでした。“なぜ俳優の道を志したのか?”と聞くと“三國連太郎の影響だ”といきなりおっしゃったので、会場がどよめいたんですよ。ふたりが複雑な関係だったことはよく知られているので、あえて三國さんの名前は出さないようにしようと思っていました。だから、佐藤さんの口から父親の名前がサラッと出てきたのには驚きましたね」(山川氏)

 彼が小学校6年生のときに父である三國が家族を捨てて家を出ていったことで、30年以上にわたって確執があり、親子共演はなかなか実現しなかった。ようやく“和解”したのは、’00 年に三國が喜寿を迎えたパーティーだったと言われている。

「唯一共演した作品の記者会見でも、お互いのことを“三國さん”“佐藤くん”と呼び合っていましたね? と聞くと“いま思うとせっかく2人とも同じ職業だったんだから、もっと共演しておけばよかったと思うんです”とおっしゃって、また会場がどよめきました。続けて“誰にとっても父親というのは越えなければならない山だけど、自分の場合はひときわ大きな山で、そのことで苦労した。とはいえ、彼の映画には知らず知らずのうちに影響を受けています”と言っていたのは印象的でしたね」(山川氏)

 佐藤は「父である三國連太郎から多くのものを学んだので、それを下の世代に伝えていきたい」とも語ったという。その若い世代については、「自分が傷つくのを怖がっていて人と話すことが苦手な印象」としたうえで、これから学ぶときに心得ておくべきことをアドバイスした。

「どんな人もその人なりの素晴らしい世界観を持っているんだから、話をしていろいろなことを聞いて学んだほうがいい。売店のおばちゃんやたまたま席が隣になった学生だって、必ず何かためになる話を持っていると思う。人と話すことが苦手だったら、相手の話をひたすら聞くだけでもいい。まず周りの人から毎日話を聞いて、そこから学ぶことを習慣づけてください。メールやSNSが全盛の時代ですが、生身の人間と会って話を聞くことの重要性に気がついてほしい」