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 還暦を過ぎてもお笑い業界のトップに君臨し続ける明石家さんま。かつてさんまと常に行動を共にし、『何人トリオ』のメンバーとしても活躍した放送作家・前田政二さんが、著書『深夜ラジオとひょうきん族と』(ヨシモトブックス)で、さんまとその仲間たちによる爆笑エピソードを綴っている。そこで前田さんに、さんまさんとの思い出について語ってもらった。

「さんまさんは昔から面倒見がいいんですけど、それも面白エピソードを作るため。常にいろんなことにアンテナは張り巡らせています。自分の番組を見て笑うというエピソードは本当なんですけど、若手の出ている番組などもとにかくチェックしている。たとえば関西で浜田雅功君がやっている『ごぶごぶ』(毎日放送)という番組も、東京だとスカパーでしか見られないはずなのに“あの番組、ガチっぽくてええなぁ”って感想を言っていますからね。あの勉強熱心さが、さんまさんの凄さに繋がっていると思います」

 その勉強熱心さを象徴するのが睡眠時間の少なさ。

「さんまさんは本当に寝ない。1時間すら寝るのがもったいないという考えで、飲み会や合コンなど、いまだに人に話して笑ってもらえそうなことを普段からしている。常にネタになりそうなことにアンテナを張って、飛び込んでいるんですよね。『ひょうきん族』時代、収録後に徹夜で麻雀をして30分だけ仮眠して草野球をして……みたいな生活をさんまさんはしていました。あの歳になっても、番組が面白くなるように努力を怠らないんですよ」

 またこれだけの地位を築きながらも、いまだに若手をライバル視するという。

「“50歳を過ぎたら若手を教育する立場にならなきゃダメだ”とおっしゃっているんですけど、その反面いまだに若手に対して負けたくないという思いもある。嫉妬ではないけど、旬な若手の活躍を見るのが悔しいらしいです。そんな姿勢だからこそ、還暦を過ぎても衰えないんでしょうね」

 一見、自由奔放に見える明石家さんまだが、実はかなり計算している部分もあるそうだ。前田さんもメンバーとして活躍した『ひょうきん族』発のユニット・何人トリオは、構想から2年かけてようやく形にしたことを著書で明かしている。

 コンサートを見に来てくれた『ひょうきん族』チーフディレクターが、コンサートで披露した何人トリオの原型となる企画を『ひょうきん族』でやろうと提案。しかし当時、村上ショージ、Mr.オクレ、前田政二の何人トリオの3人は全国的には無名に近い存在だった。

《とりあえずは『ひょうきん族』に出演させておかなければと、超腕利き優秀ディレクター陣とプロデューサーさんとで話し合い、ちょうどその頃やろうとしていたひょうきんスター誕生』という『お笑いスター誕生』のパロディコーナーに何人トリオを登場させよう、ということになった》

《おかしな3人組の存在が徐々に浸透し始めた、良きタイミングで…さんまサンと(プロデューサーの)三宅さんが2年越しに進めてきたプロジェクト『ラブユー貧乏』が、新コーナーとしてついに世に出たのである!》(『深夜ラジオとひょうきん族と』より)

「さんまさんの計算もあり、『ラブユー貧乏』は社会現象になるほどヒットしました。ヒット番組は、ここまで計算して作っているんだと当時すごく感動しましたね」