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 11月20日、最後まで相撲界を見守って旅立った北の湖親方。彼のように、人々の記憶に残るような力士たちは数多く存在した。そんな国民に愛された力士たちを振り返ろう。

 最高位は関脇どまりだったものの、異能の力士として名を残したのが福の花だ。腕力が強く、突っ張りの威力は抜群。昭和45年には大関の北の富士に張り手を浴びせ、一発で脳しんとうを起こさせて倒すという離れ業をやってのけた。

 それでついたあだ名が“フックの花”。ボクシングのフックのような強力な張り手を持つことを表している。

 大物食いで、玉の海からは2場所連続で金星を獲得している。大鵬と柏戸の引退当日に対戦相手となっており、いずれも不戦勝を得た。ただし、実戦では柏戸に勝ったことはあるものの、大鵬には10戦全敗だった。

 今でこそ外国人力士は珍しくもないが、先駆けとなったのが高見山だ。ハワイのマウイ島出身で、愛称はジェシー。アメリカンフットボールの選手だったが、昭和37年に高砂部屋が巡業でハワイを訪れたときに声をかけられて入門を決意。昭和39年に日本にやって来た。

 ちゃんこ料理が食べられず、股割りがつらくて涙を流す日々。本人は涙ではなく「目から汗が出た」と言い張り、負けん気を示した。

「身体が大きくて破壊力はありましたが、指摘されたのが足腰の弱さ。脚が長くてほかの力士とはまったくプロポーションが違うんです。カッコいいんですが、安定感がイマイチ。高校時代に事故にあって負傷したことも響いたみたいですね。下半身のもろさは最後までつきまといました」(スポーツ紙記者)

 それでも、のど輪や張り手の威力はすさまじく、獲得した金星は12個に及ぶ。そのうち7つは輪島から得たものだ。昭和47年7月場所では外国人として初の優勝を果たす。このとき、ニクソン大統領からの祝電を披露されると、目からは大量の“汗”が流れ落ちたのだった。

「翌場所には関脇に昇進しましたが、昭和59年に40歳を目前にして引退。その後はタレントとしても活躍しました。丸八真綿の“2バーイ、2バーイ”のCMは、特に人気を集めましたね」(前出・スポーツ紙記者)

 ぽっちゃりしてふくよかなお相撲さんのイメージを一変させたのが千代の富士。鋭い目つきから“ウルフ”と呼ばれ、筋肉質な身体つきと精悍な面構えで人気となった。

 昭和30年代生まれの力士としては一番乗りで入幕を果たすが、その後、低迷期が続く。先天的に肩が脱臼しやすく、ケガが多かった。それを克服するために始めたのがウエートトレーニングで、筋力を強化して鋼の肉体を手に入れた。

 体重がなかなか増えなかったが、タバコをやめることで肉体改造。31回の優勝と53連勝で、名実ともに昭和の大横綱となった。

「豪快でスピーディーな取り口で、子どもや女性からも人気に。昭和56年の初場所は北の湖との優勝決定戦になり、視聴率は史上最高と言われる65.3%を記録。北の湖を破って優勝し、日本中に“ウルフ旋風”が吹き荒れました。とはいえ、やはりケガは多く、平成3年の5月場所で貴花田に敗れたことから引退を決意。会見で涙をこらえながら絞り出すように発した“気力・体力の限界”という言葉には胸を打たれました」(前出・スポーツ紙記者)