支援の手は足りず、貧困は隣り合わせ。震災5年目の被災地で、シングルマザーはより厳しい状況に置かれている。

 宮城県気仙沼市の鹿折中学校仮設住宅に住む松本いつかさん(35)は、震災5年目を前にこう話す。

「過去を見たらきりがない。今やるべきことをこなしていけたらいいですね」

 自宅は沿岸から約200メートル。津波に流された漁船の下敷きになった。

「当初は(鹿折地区から)離れたいと思ったんですが、今は離れたくない」

 子どもは長女の麗華さん(16)、長男の魁翔くん(14)、そして震災後生まれた結愛ちゃん(2)の3人。ひとつの家に祖父母と両親、妹の家族を合わせて15人の大所帯だった。全員無事だったが、にぎやかな生活は奪われた。

 シングルマザーになったのは27歳のとき。元夫によるギャンブルの借金が原因だ。魁翔くんが生まれたことを機に離婚した。

「負い目はある。息子とキャッチボールをしたこともない。男は長男ひとりだけ。(男親に)何か話したいときでも、話せなかったことがあるんじゃないか」

 震災前、いつかさんに恋人ができ、魁翔くんと遊んでくれていた。しかし妊娠すると事態が急変。

「3人の子どもを養えない」

 と、連絡が途絶えた。

「やっと幸せになれると思ったのに、本当に子どもたちには申し訳ない」

 震災後、生活は一変した。現在は一緒に住んでいた親族とも離れ、母子4人で暮らしている。

 女手ひとつの家計は苦しい。母子手当、児童手当に加え時折、夜間にアルバイトをしている。次女が幼稚園に上がるまでは昼間は手が離せず、満足な収入を得られない。

 車は津波にのまれたため新たに購入。結果、二重ローンとなった。仮設住宅は家賃がかからないが、復興公営住宅に移ることになると、家賃が発生する。

 市から被災者用の公的資金の貸し付けを受けているが、一定期間が過ぎれば、返済には利息がつく。

「元ダンナの借金がトラウマで、返せるあてがない借金は怖い。だから必要なもの以外は買わないようにしています」

 いつかさんは“何かあったら子ども3人を守れるのか”と感じている。ただ、魁翔くんはこう話す。

「ずっとお父さんがいない。でも、このままで大丈夫。お父さんがいないことで強くなろうと思った。やっぱり、俺は男だし、俺がやるしかない」

高倉健手紙
 そんな魁翔くんにも宝物がある。俳優・高倉健さんからの手紙だ。

 避難生活をしていたとき、近所の井戸から水を運んでいる写真が新聞に掲載された。がれきの中で毎日、片道1キロを3往復していたところを撮影したものだ。

 その記事を見た高倉さんから手紙が寄せられた。ちょうど“いつまで頑張ればいいのか?”と考えていた時期だったという。

「手紙を読んだから元気がもらえた。うまくいかないときとか、落ち込んだときには今でも読み返す」

 何かあるとトイレにこもって手紙を読んでいることもある。仮設住宅は2K。ひとりになれる場所はトイレしかないからだ。

 いつかさんあてにも手紙で「公にしないご配慮を」とあった。その意をくんでしばらくは非公表にしていたが、昨年、高倉さんが亡くなったことで魁翔くんは公表した。

「健さんのやさしさを知ってほしかった。この手紙で僕は元気をもらえた。公表することで、ほかの人も元気になればと思って」

 すると、福島県の中学生からも手紙が届いた。元気が伝わったと実感した。

「将来はバスケットボール選手になりたい。そのときだけ鹿折を離れるけれど、この地域が好きなので、戻って、有名にしたい」

 心強い復興の担い手として育っている。

取材・文/フリーライター 渋井哲也