マッサン2
 高視聴率をキープし、いよいよゴールを迎えるNHK朝ドラ『マッサン』。この半年間、テレビの前でクギづけになった人も少なくないだろう。

 そこで、モデルとなった夫婦の孫にドラマと現実の違いについて直撃インタビューをした。

「うちの祖母はエリーのように人なつっこく、誰にでも抱きついたり話しかけていくようなタイプではなかったですよ(笑い)。もっと奥ゆかしいというか、気難しいというイメージ。人見知りする部分もあったのかなと思いますね」

 最終回が3月28日にせまったNHK連続テレビ小説『マッサン』。モデルとなったニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝と妻・リタの孫にあたる竹鶴孝太郎氏はそう語る。

「リタは、簡単にいえば“頑固一徹”な人だったのかなと思います。64歳で亡くなったのですが、40年間、日本に居続けたんです。戦争が始まってからは1度も母国へ帰っていません。実母が亡くなったときでさえも。今回のドラマを見て、彼女はきっと完全な日本人になるために、帰らない決心をしたのかなと気づきました。1度決めたことは曲げないというのが私の祖母でしたから」(孝太郎氏)

 ほかにも、ちょっとおかしな“頑固エピソード”を教えてくれた。

「これは母から聞いた話ですが、よく家族でハイキングに行っていたんです。サンドイッチとかを詰めた荷物を持って。7~8㎞くらいある道のりの中、右手に持った荷物は絶対に左手に持ち替えなかったらしいんです。もちろん逆の手も。自分のルールみたいなものがあったみたいで。母にとっては、リタは姑にあたるので“お義母さんが荷物を持ち替えないから、私も持ち替えられなかったわ”と愚痴っていました(笑い)」

 一方で政孝にも、ドラマでは描かれていない重要な事実があったそう。

「政孝が北海道に移り住んだのは、兄がいたからなんです。ドラマでは兄の存在はまったく触れられておらず、なぜ北海道に行ったのかという理由が、ウイスキーをつくりやすい土地だからと描かれていました。でも、それなら仙台やほかの土地でもいいじゃないですか。おそらく政孝は兄を頼って北海道という地を選んだのだと思います」

 確かに『マッサン』では、ドラマ上の都合なのか、“兄”は登場していない。では、いったいどんな兄だったのか。

「戦前には北海道炭鉱の会社で常務を務めていた人で、それなりの力やツテもあったんでしょう。政孝と見た目は似ていないのですが、豪快で面白い人だったという記憶はありますね。広島弁でよくしゃべる人で、政孝とはずっと交流があったみたいですよ」