依存の対象について考えるのではなく、「そのような状態にある」ことをとらえた概念であり、日本語で『嗜癖』と訳される。

 アディクションは医学的に定義されるものではなく、単なる趣味や嗜好との境界線もあいまいだが、わかっているのにやめられず、本人や家族が苦しんで、生活に支障をきたしているかどうか、が問題視すべき目安なのである。

■依存症は「脳」の問題  

 では、「わかっているのに、やめられない」ということが、どうして起きてしまうのか。それは『脳』に理由があると言われている。

 脳は、気持ちがよい刺激を受けると『報酬』として記憶する。それが脳内で『回路』となり、新たな報酬を求めて繰り返されると習慣になる。報酬を求めることがやめられなくなり、自分で制御することができない状態がアディクションである。

 本人は「やめたい」と思っていても、脳が勝手に暴走し、どうにもならない。それなのに家族や周囲が「家族の恥だ」と責めると、その人は隠れて行為を繰り返し、気がついたときには症状はより深刻化している。

 やめられないのは、その人の意志の弱さや性格の問題ではない。「ハマるもの」は人によって違い、ある人が何にでも「ハマる」わけでもない。条件さえそろえば、アディクションは誰でもなる可能性があり、特別な人だけがなるわけではない。

 また依存症は、やめることはできても、それを持続させることは難しいと言われている。いったんやめることができても、再び手を出してしまう『再発』は、脳にできた『報酬回路』のせいと言われている。周囲が取り上げても、それは表面的な行為であり、本当の解決にはならない。むしろ、その人をかえって苦しめることになる。

 自分ではどうしようもない、さらに自覚症状もないのが、依存症の怖さなのだ。