その人は雑踏の中から喫茶店に入ってくると、こちらを見つけて軽く会釈をした。女性の名前は石塚幸子さん(37)。清楚なスーツに身を包んだ石塚さんは、出版社勤務だ。

 彼女が、自分がAIDでこの世に誕生したことを知ったのは、23歳のときだった。

「きっかけは父の病気でした。父は筋ジストロフィーという重い病気を患っていて、その病気が子どもに遺伝するかどうか悩んだことが、私の出自の秘密を知るきっかけになってしまったのです」

精子ではなく実在する人間がいるか確認したいだけ

 悩む自分に母親が告げたのは、父親とは血がつながっていないということだった。

「変な話、最初は少しホッとしました。病気が遺伝しないとわかったので。同時に他人の精子で子どもをつくるという技術に驚き、さらに大好きだった母が、こんな大事なことを23年間も黙っていたこともショックで……。悲しかったのは母に“なんで悩む必要があるの?”と責められたこと。きっと母としても後ろめたかったのでしょう」

 私は隠したいような技術でこの世に生まれたの─? 当時、大学院で地質学の研究に取り組んでいたが、

「AIDや体外受精という言葉で頭がいっぱいになり、研究どころではなくなりました。環境を変えて1度リセットしたかった。そこで家を出て、大学院もやめたのです」

 彼女は、精子提供者に1度でもいいから会いたいという。

「その人の身長・体重・学歴が知りたいわけではなく、ちゃんと実在していたかどうかを知りたいから。母親と精子というモノではなく、実在した人間がいるということを確認したいだけ。幼いころに知らされていれば、こんなにショックにはならなかったはずです。大切なのは、血はつながっていないけれど私たちは家族で、ここに一緒に暮らしていること、だから信頼して暮らしていこう。そう告げてほしかった。

 私たちがAIDの自助グループを作ってから、養子を育てている人たちとも意見を交わしました。彼らは物心つく前に告げるほうがいい、と言います。楽しいことがあったとき、例えば3歳の誕生日のお祝いのときとかに伝える」

 石塚さんが出生の秘密を知ったのは若い時期だったが、ほとんどのケースではかなり遅くなってからのことだ。つまり、結婚し、子どもが誕生したあとに知った人たちも多い。

 彼女に、結婚と出産をどう考えるか尋ねると、

「結婚はしないと思う。子どもに関しては、まったく欲しいと思わない。自分の遺伝子を残したくない。自分が感じた不明な感覚を自分の子どもに味わわせたくないんです」

 石塚さんは、この問題の根底に「普通」という問題が横たわっているという。

「結婚したら“子どもを産むのが普通”という価値観のために、これらの技術が使われているような気がします。きっと、ガイドラインやルールが誕生したとしても、日本では告知は進まないと思います。だからこそ、私が声を大にして言いたいのは、精子提供、卵子提供という方法を選択する前に、もっともっと考えてほしい、それだけなんです」

 女性特有の乳がんや子宮がんには遺伝性のものも多い。遺伝子が注目される昨今、そこから出自の問題に遭遇する機会もあるだろう。今後、さらに議論を深めなければいけない問題に違いない。


取材・文/小泉カツミ──ノンフィクションライター。医療、芸能など幅広い分野を手がけ、著名人へのインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母〜代理母出産という選択』ほか多数