「子どもですから失敗すると泣くんですが、それでも食らいついていましたね。負けず嫌いでした。幼稚園、小学校が終わると毎日午後6時まで滑り、その後も自分のチームの練習をしていました。今でも黙々と練習している姿を見ると、あのころと変わっていないと思います」(堤さん)

 フィギュア漬けの生活だったせいで、演技のこと以外には無頓着になってしまったのだろう。'15年の四大陸選手権で五輪について聞かれたときは、“平昌って韓国なんですか?”と答えていた。

「本当に知らなかったようですね。短いスケジュールの中で連戦になるグランプリシリーズでは、“次ってどこに行くんでしたっけ?”と次の試合場所を聞いていたことも」(前出・スケート連盟関係者)

 そんな宇野をアニキ肌の田中は放っておけなかったのだ。

「女房みたいな存在」

羽生結弦(写真/共同通信)

 年下の宇野だけでなく、同期の羽生も田中には信頼を寄せている。田中は羽生と同い年。日野龍樹と同期3人で、切磋琢磨してきた。

「小さいころは大会によって表彰台に立つ位置が違っていましたね。かわるがわる順位が変動するので、三者三様に悔しかったんだと思いますよ。ジャンプの習得も競争状態。“あいつが跳べたなら、俺だって!”となっていたのだと思います。誰もが苦労するトリプルアクセルも、この3人は早く習得していました」(同・スケート連盟関係者)

 今も顔を合わせれば、

「お互いに大会で姿を見つけると、スーッと寄っていく感じがあります。高校生くらいまでは、自然に肩を組んでいましたね。少し背の高い田中さんの脇に羽生さんがおさまってる感じでした」(同・スケート連盟関係者)

 はたから見ると、まるでカップルのように見えるが、羽生は田中のことを、

「女房みたいな存在」

 と語っている。田中は気の休まる相手ということらしい。