1982年の東京大学の卒業アルバムに佐川氏がゼミメンバーと並ぶ写真が残っていた。髪型や服装に派手さはなく、まじめで地味な印象の学生だったことがうかがえる(読者提供)

 思春期の女子特有の“小悪魔”が舞い降りかけたのだろう。しかし、こんな、からかいの対象になったのには別の理由もあったという。

佐川君はよくも悪くも余計なことはしないタイプ。やらなきゃいけないことはやるけど、自分自身のためにしか動かない。自由な校風もあってクラス替えをどうするかには生徒の意見も反映されるんですが、ほとんどの生徒が“せっかく仲よくなったんだから今のクラスのままでいい”とする中、佐川君を含む一部の生徒が“予備校のように学力別のクラス編成にしたい”と訴えました。結局、多数決でクラス替えはなし、となって佐川君たちの反乱は失敗しました」(前出のA子さん)

 文化祭の打ち上げに佐川氏を誘ったとき、来なかったことも顰蹙を買ったという。

 その後、大学デビューもかなわなかったようだが、ややポジションは上向いた。

「大蔵省(現・財務省)に入った人は有名でしたから、名前は知っていましたが、それ以上は……」

 と大学の同級生男性。

 つまり、社会人デビューを果たしたことになる。

 前出のA子さんは、50代のときに開いた高校の同窓会での再会を鮮明に記憶している。

「東大卒の財務官僚なのに経歴を鼻にかけることなく、どちらかと言えば謙遜して、人付き合いを気にしていました。お酌して回ったり、周囲を気遣ったり、冗談を言ってみんなを笑わせたりも。自分の殻を破ったというか、吹っ切れたというか。高校時代よりずっと仲よくなれました」

 とA子さん。佐川氏にはいま真実を正直に話してほしいと願っている。

 一方、大学の同級生からは、

「きちんと説明し、佐川さんを含め責任をとるべき」(男性)

 と厳しい声があったほか、

「佐川さんや財務省次官の多くは同級生。私も似たような道を歩んできたし、大変なことがあったんだろうなと同情する気持ちも強いですね」(別の男性)などと同情する声も。

 いずれにせよ、佐川氏はバレンタインデー未遂事件とは比べ物にならないほど窮地に追い込まれている。