すると中電は'00年4月、8漁協と個別にではなく、8漁協で構成する共同漁業権管理委員会(以下、管理委員会)を相手に、漁業補償契約を締結した。祝島を含む8漁協への補償を、一気にすませる算段だったと思われる。

一本釣り漁をする岡本さん。「みんなの海だから守らんと」と思いを語る 撮影/山秋 真
一本釣り漁をする岡本さん。「みんなの海だから守らんと」と思いを語る 撮影/山秋 真
すべての写真を見る

 だが、祝島漁協は5月、管理委員会から振り込まれた前期支払い分を即返金する。'08年の後期支払い分も受け取りを拒んだ。ただ、祝島漁協は、'06年の合併で山口県漁協(以下、県漁協)祝島支店となっていた。

 そのため後期支払い分は県漁協の本店が保管。以降、原発に関わる大事な手続きである漁業補償が、漁業者の内紛に矮小化されていく。

 '09年2月と'10年1月、県漁協の本店幹部が祝島へ来島。

「祝島漁協が管理委員会へ返した前期支払い分は法務局へ供託されており、'10年5月までに取り戻さないと国に没収される。取り戻すか?」

 祝島支店の組合員に、そう言って採決を迫ったという。「取り戻さない」が多数という結果だったが、本店は取り戻した。祝島分の補償金約10億8000万円は全額、現在も本店が保管する。

さらなる危機が襲う

 '11年には、より直接的な危機が起きた。海の埋め立てを強行しようと、中電は1〜2月、連日のように作業台船を予定地へ派遣。最後は約500人もの人員と、20台以上ともいわれる数で押し寄せた。

 騒然とする陸へ海へ、祝島の人々は総出で駆けつけ、意思表示をした。

「私ら同意していない」

「漁業権は持っています」

「補償金も受け取っとらん」

 福島第一原発が爆発したのは、陸でのケガ人発生と海況の悪化を受けて台船が徐々に引きあげ、ひととき、穏やかさが戻ったころだ。

「人のやることに“絶対”はない。自然というものに勝とうと思ってもダメよ」

 そう話す祝島の人々が恐れていた事態が起きた。