夜ノ森で桜の写真を撮っていた40代の女性は、双葉町出身。「震災前から毎年見に来ていたけど、やっぱり、この桜はいちばんいいね」と、つぶやいた。

 富岡町で仕事をして社宅もあるが、「(富岡町には)知らない人ばかり。夜が不安」と、避難先の栃木県から2時間半かけて通う。

「震災前と同じように普通に暮らしたい。戻れるのはいつになるのでしょうね」

賠償金をもらうとねたまれる

 震災のとき、「原子力 明るい未来の エネルギー」と書かれた看板が話題となったが、現在は撤去された。標語を考えたのは大沼勇治さん(41)。小さいころは近所の川で遊び、消防署の人と一緒にサッカーもした。夜ノ森に桜を見にいったことも覚えている。

 そんな小学生時代に作った標語が看板となり、「看板は死んでも残る。爪痕を残せたと思った」と振り返る。

 震災までは不動産業を営み、東電関係者に物件を貸していた大沼さん。SNSで知り合った女性と'10年3月に結婚した。

「標語は結婚のとき、親類にも話しました。“原発は倒産しない。娘さんが苦しむことはありません”という意味でした。しかし、今では気まずさがあります」

 事故後はいったん、妻の実家がある会津に避難。それから愛知県へ行った。現在は茨城県古河市に住み、太陽光発電の仕事をする。

「双葉町役場は埼玉県加須市に避難していたので、近くの地域で探しました。将来的には、温暖で便利な福島県いわき市に住むことも考えていますが、いまは土地が高騰して買えません」

福島を離れ茨城県で暮らす大沼さん一家。震災の年に生まれた長男は、この4月から小学校に入学した 撮影/渋井 哲也

 福島に戻らないのは、別の理由もある。

「賠償金をもらっていることでねたみもあるのか、攻撃が被災者に向けられることがあります。同じ県内でも仮設住宅に嫌がらせの手紙が届いたと聞きました。県内こそ、嫌みを言われるかもしれない」

 原発事故は、町も人間関係も、未来も破壊した。福島県とほかの地域で、また県内でも分断され、疑心暗鬼も蔓延させた。地域の再生も目指すが道なかばだ。

 安心して暮らしたい。誰もが望む願いを原発はかなえるのか、壊すのか、3・11を教訓にあらためて考えるときだ。


〈取材・文/渋井哲也〉
ジャーナリスト。栃木県生まれ。長野日報を経てフリー。震災直後から被災地を訪れ取材を重ねている。近著に『復興なんて、してません』(第三書館・共著)