独学で5か国語をマスター

 大宮では3年間過ごし、定位置を手にしたのは最後の年。ただ、出番ゼロだった新人時代にイタリア・セリエAのパルマへ1か月間の留学に赴いたことは人生の大きな転機になった。当時、中田英寿が活躍していた強豪チームでの日々は18歳の若武者にとって刺激的だった。そのときから川島の中に「いつか必ず海外でプレーするんだ」という強い思いが芽生えた。

 同時に語学習得意欲も高まり、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語のテキストを一挙に購入。毎朝30分間の独学をスタートさせ、17年たった今もそれを続けている。

「ひとつの言葉を離れて別の言語にいくと、意外に共通性があって理解が深まったりする。それで文法や単語も覚えられました。大宮にはブラジル人選手もいたんでポルトガル語で指示を出したし、イタリアにはその後も毎年行っていたんで、会話力は向上しました」

 上記5言語で日常会話に苦労しないレベルまで達した彼は「語学の達人」として知られている。現在は一般社団法人『グローバルアスリートプロジェクト』の発起人兼アンバサダーのひとりとなり、アスリートの語学習得サポートや英語サッカースクールも手がける。「言葉の壁に阻まれるアスリートを減らしたい」という思いはスポーツ界に確実に広まりつつある。一方で、子ども好きで人懐こい性格の彼は、少年たちと触れ合うイベントにも定期的に参加し、英語とサッカーの楽しさを伝える喜びを味わっている。

’17年6月、『グローバルアスリート英語サッカースクール』のイベントに参加(筆者撮影)
’17年6月、『グローバルアスリート英語サッカースクール』のイベントに参加(筆者撮影)
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 サッカーも語学も高いものを貪欲に追求する男は’04年に名古屋グランパスへ赴く。

 しかし、ここには’02年日韓ワールドカップ日本代表の正GK楢崎正剛(現J1・名古屋)がいて出番が得られる保証は皆無。GKはポジションが1つしかなく、途中交代もない。全くピッチに立てない可能性すらあった。それを承知で「ナラさんからポジションを取る」という強い覚悟を持って移籍に踏み切ったのだ。

 そんな果敢な後輩を、楢崎はこう述懐する。

「永嗣は“自分のベストを見せるんだ”っていう野心があふれまくっていた。ときに感情が出ることもあったけど、若かったし、それがいい方向に出ていたと思います。強い向上心はサッカーだけじゃなくて、語学の勉強や人間的な部分でもそうだった。僕は名古屋に20年いますけど、激しくポジションを争った感覚を唯一抱いたのが永嗣。それだけの力を持った選手でした」

 結果的にレギュラーはつかみきれなかったが、偉大な先輩と日々刺激し合うことで、ワンランク上のGKへと進化できたのは間違いない。

 そして’07年、川崎フロンターレへ移籍。直後には念願の日本代表に初招集される。まだ川口能活(現J3・相模原)と楢崎という2大守護神が正GKの座をめぐって激しいバトルを繰り広げているころで、24歳の若手GKが2人の間に割って入るのは容易ではなかったが、少しずつ実績を積み上げ、’10年南アフリカW杯の代表メンバーにも選出された。