ブーイングを浴びた屈辱

「南アの悔しさを糧に、より高いレベルの舞台で戦いたい」

 その思いを胸に’10年夏、27歳の守護神は愛着の強かった川崎を離れて、ベルギー1部(現2部)のリールセへ移籍。年俸も下がったが、長年の思いを実行に移した。

「“海外へ行きたかったのに行けなかった”と後悔する人生だけは送りたくなかった」という強い意思が、大胆チャレンジの原動力となった。

 小クラブのリールセは、強豪との実力差が大きい。ベルギー3強の一角を占めるスタンダール・リエージュとの試合では0―7で大敗したこともあった。そこで川島は10本のスーパーセーブを見せ、試合のMVPに輝く。その活躍ぶりが認められ、2年後にはスタンダールに引っ張られた。

 だが直後、彼は異国の強豪クラブでプレーする厳しさを味わうこととなる。

「スタンダールでは責任感がまるで違いました。リールセのときはチームが負けても自分がよければ評価された。でもスタンダールでは結果が伴わなければ酷評される。ファンの要求は異常なほど高く、『四面楚歌』というくらい前後左右からブーイングを浴びせられた。スーパーマンじゃないと認められないんです」

 日本時代にはなかった数々の修羅場をくぐるたびに、平常心でいることの大切さを実感するようにもなった。

「僕の1日は、自分でいれたコーヒーをゆっくり飲みながらボーッとするところから始まります。朝の語学の勉強、練習、休養と流れがある程度、決まっていますけど、そういう1日1日の習慣の積み重ねが実戦に出る。練習のキャッチ1本が試合につながる。毎日の時間を大事にして、自然体でいようと心がけるようになりました」

 タフな海外経験から得た自信を胸に2度目のブラジルW杯に参戦した。南ア16強戦士の仲間である長谷部、本田、長友佑都(現トルコ1部・ガラタサライ)、内田篤人(J1・鹿島)らもそれぞれ欧州でハイレベルな実績を残していて、アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表は史上最強と目された。

 南ア超えも夢ではないと期待されたが、初戦・コートジボワール戦で1―2の逆転負けを喫したことですべてのシナリオが狂った。ギリシャには堅牢な守備をこじ開けられずに0―0のドローを強いられ、コロンビアとの最終戦は1―4で惨敗。当時22歳のハメス・ロドリゲス(現ドイツ1部・バイエルン)に赤子の手をひねるようにアッサリとやられてしまった。この惨敗は川島にもショックが大きすぎた。

意気揚々と挑んだブラジルW杯でコロンビアに1-4の惨敗を喫し、試合後のピッチで天を仰ぐ川島

「ブラジルのときは“自分たちは何かを残せる”という自信がどこかにあった。4年間、それだけの道も歩んでいたから。だけどサッカーはそんなに簡単じゃない。W杯は国同士が威信をかけた戦いをする場なんだから。あの惨敗に直面した僕自身も喪失感が大きくて、冷静になれない部分があった。結果的にスタンダールでもスタメンからはずされた。“何でこんなミスをするのか”と自分でも理解できないことが多かったですね」と川島は苦しい胸の内を吐露する。