妻の妊娠直後、まさかの無職

 ブラジルでの惨敗は、GK人生最大の苦境の序章でしかなかった。ここからの4年間で起きる紆余曲折を、本人も想像だにしなかっただろう。

 そんな川島の強い味方になったのが、’14年9月に結婚した妻・広子さん。「ウチの奥さんはサッカーのルールも知らないし、スタジアム観戦に出かけたこともない人」と本人も笑う。ひとり暮らしが長く、常にサッカーに没頭してしまいがちな男にとって、サッカー門外漢の彼女の存在は大きな癒しになった。

 ’15年には子どもができ、守護神はさらなる高みを目指そうと決意。スタンダールの契約延長を断り、新天地を探すことにした。複数の国からのオファーを断り納得いくクラブを見つけるため夏の欧州移籍市場が閉まる8月末まで粘ったが、契約に至らなかった。

「所属先なし」

 この現実は川島に重くのしかかった。身重の妻を日本の実家に帰し、イタリア、ベルギー、オランダ、イングランドと渡り歩いて新たなクラブを探す時間は、とてつもなく長いものに感じられた。クラブという職場がないことは、練習環境も失うという意味だ。シュートを蹴ってくれる仲間もいなければ練習をするグラウンドもゴールも使えない。単独でできるのは筋トレやランニングくらいで、GKとしての感覚を失う可能性もあった。その恐怖感にさいなまれ、気持ちも落ち込む。日本代表落選という厳しい現実も追い打ちをかけ、高校時代から続けていたサッカーノートさえ書く気力が失せたと明かす。

「僕より精神的に大変だったのは奥さんだと思います。結婚した人がいきなり無職になったらビックリしますよね(苦笑)。安定どころじゃないし、子どもも生まれるしね。だけど僕は自分が成長できる環境を追い求めて、チャレンジしたい気持ちが強かった。それだけは結婚しても変えられなかった。奥さんはそういう僕の信念を理解してくれて“自分が信じてるんだったら、それに従えばいい”と言ってくれた。自分の夢がひとりのものじゃないってことを痛感させられましたね」

 半年間の空白期間を経て、スコットランド1部(現2部)のダンディー・ユナイテッド入りがようやく決まった。同じころに長男・健誠君も誕生。川島も大きな安堵を覚えた。

「両親も奥さんもホントにつらい時期をよく支えてくれました。“自分がホントにやりたい場所でできないなら続ける意味があるんだろうか”と引退も頭の片隅によぎったくらいなので、家族がいて助かりました。人間はいちばんの喜びも苦しみも共有できる人たちがいてこそ前に進める。今もそう強く思います」

 こうしてサッカー人生最大の苦境を乗り越えた川島は’16年1月からスコットランドで半年間プレー。惜しくもダンディーは2部に降格し、契約満了となったが、同年8月にはフランス1部のメスへの移籍が叶った。欧州5大リーグ1部のクラブにたどり着いた日本人守護神は川島だけ。アジア人GKも現時点では2~3人しかいない。190cm超の大柄な選手の多い欧州で、体格的に小柄、かつサッカー後進国である日本のGKがプレーすることは、想像を絶するほど難しいのだ。

 実際、メスでは3番手からのスタートを余儀なくされた。出番に恵まれなかった9か月を川島はこう振り返る。

「18歳でパルマに行ったときから欧州5大リーグ入りのチャンスをことごとく逃してきた僕にとっては、3番手だろうがチャンスだというとらえ方しかなかった。挑戦しなければ先はないですからね。ライバルは190cmくらいの若いGK2人で、高さもパワーもあるし、リスク覚悟で高いボールにアタックするようなメンタル的強さもあるとは思いましたけど、十分戦えると感じた。とにかくいい準備をしてチャンスをモノにすることだけに集中したんです」

 フランスで飽くなき向上心を持って挑み続ける守護神を再評価したのが、ハリル監督だった。’17年3月のロシアW杯最終予選の大一番・UAE戦で指揮官は川島を抜擢。8か月ぶりの代表戦でベテラン守護神はゴール前に悠然と立ちはだかり、相手攻撃陣を完封。チームの窮地を救った。このときは人知れずに号泣したというが、代表のピッチに立つ誇りと喜びをこれほど強く感じたことは過去になかったのかもしれない。

ハリル監督とは得意のフランス語で常日ごろから意見を交わしていた

 代表正GKを奪回した勢いでメスでもスタメンを奪取。このころの凄まじい活躍ぶりは、’16年6月から1年半のPK阻止率83・3%という驚異の数字にも表れている。

 2年目の今季も、開幕当初は「下部組織出身の若いGKを試合に出して活躍させ、移籍金を稼ごう」というクラブ側の黒い思惑に巻き込まれ、実力的に上の彼が控えに回る羽目になったが、8月末からポジションを奪い返し、不動の守護神に君臨している。

「永嗣を励まそうということでこのころ、女房と一緒にメスへ行ったんですが、お嫁さんがとにかく明るかった。何か国語か喋れる人なのでどこへ行っても溶け込めるし、料理も上手。孫と3人で楽しくやっているんで本当に安心しました。それまでは私たち親にも“大丈夫だから”と心配をかけないようにしていたけど、今は自分の気持ちを理解してくれる人が近くにいる。それは大きいですよね」と父・誠さん。母・法子さんも家族という安らげる場所を持った息子に安堵したという。

 重圧のかかる日々が続く中、妻の誕生日やバレンタインデーに手作りのイチゴのショートケーキを作って振る舞うなど、川島自身もリラックスする時間を持てるようになった。「家族は人としての土台」と本人も強調していたが、それが強固になったから、多少のことでは揺らがないのだ。