弱さも含めて愛された横綱

 さて、そんな横綱・稀勢の里とはどんな力士だったんだろう?

 引退に際してたくさん出た記事のひとつに「強さと危うさ 未完の魅力」(読売新聞・1/17)とあって、なるほど、そうだと思った。

 圧倒的に強いかと思えば、ここぞというときに取りこぼしがあり、ファンは「ああぁ」とため息を漏らしながらも、そんな弱さも含めて彼を愛した。

 相撲愛好家のデーモン小暮さんが自身のブログで稀勢の里を「純朴な不器用さを伴う実直さ」「昭和のスポーツ少年や高校球児の姿にも似た郷愁を誘う魅力」があったと書いていた。稀勢の里に多くの人が自分や、自分の人生を重ねて見ていたのかもしれない。

 惜しむらくは「期待の大きさの裏返しで、厳しい指摘を避ける傾向にあった」(朝日新聞・1/17)ことだ。

 これは読売新聞でも同じことが言われ、大関時代にも故・北の湖前理事長が「あのシコの踏み方ではダメだ」と心配していたそうだ。下半身の強化がうまくできず、そのことが腰高の相撲につながり、強靭な力を発揮していた左腕がケガで使えなくなると勝てなくなったという。「四股を踏み、砂にまみれる泥臭さ」(読売)がもっとあればと、本当に残念だ。

 デーモン小暮さんは先ほどのブログで「同時代の横綱として器用に何でもこなしほぼ全ての主たる記録を塗り替えつつある白鵬」と記していたが、実は器用に見える白鵬こそ、毎日の稽古で今も不器用なほどにシコ、すり足、てっぽうの相撲の基礎を1時間~2時間も繰り返している。

 たとえば巡業などで、稀勢の里が白鵬と並んでシコを踏んで稽古していたらなぁと、スー女の私は今さら妄想しては残念に思う。

 とにもかくにも稀勢の里、おつかれさまです。長い間、楽しませてくれて、ありがとうございます、と言いたい。今後は、“実はおしゃべり”というキャラクターを生かして、相撲解説などでも楽しませてください。ワクワクして待っています。

 そして相撲を伝える側は、この「日本出身」というフレーズを封印してほしい。また一人、その犠牲者を生んでは決してならないはずだ。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。