しかも相撲ファンの目から見れば、この「日本出身の横綱」という言葉そのものが、当の稀勢の里本人を追い詰めてきたとしか思えない。

 2014年に「長年『2場所連続優勝』が条件とされてきた横綱昇進基準が、稀勢の里が綱取りに挑む過程で緩和され、『準優勝に次ぐ優勝』なら昇進もありうるという見解が示された」(ベースボールマガジン社『歴代横綱71人』より)と、稀勢の里横綱にしたいがために基準が緩和されたのだ。

一刀両断した玉ノ井親方の言葉

 そこには日本人横綱を作って相撲人気をアップさせたい思いが働いていたのだろう。2014年、大相撲はまだ八百長騒動から人気を回復させるに至っていなかったからだ。

 そして当然のように横綱に昇進した当初から「日本出身の横綱」と呼ばれた。ちなみにこの「日本出身」という呼称は、2016年に琴奨菊が優勝するか?という期待の中で生まれたもの。

 日本人力士としては栃東以来10年ぶりになる!と最初はワアワア喜んでいたようだが、2012年5月場所に「(モンゴルから)日本に帰化した日本人」の旭天鵬が優勝していたことに途中で気がついたようで、にわかに「日本出身」という生まれも育ちも血筋も日本人です! みたいな、この気持ち悪い言葉がメディアから生まれた。

 ちなみにこの頃、相撲中継を見ていたらアナウンサーが玉ノ井親方(元・栃東)に、「親方の優勝から日本人力士の優勝はないが、日本人力士に優勝してほしいですよね?」と問いかけると、玉ノ井親方はムッとした顔で「頑張った人が優勝すればいいんです」と一刀両断したことを私は忘れない。

 土俵に立つ、立ったチカラビトたちはみなそう思っているはずだ。どこの国の出身だろうと、土俵に立てばみな同じ。誰もが全力で戦い、その必死な相撲に国や人種の違いなど余計なものが入り込む余地などない。入りこませようとするのは、部外者たちだ。

 稀勢の里引退会見で「日本出身横綱としての重圧は?」と問われて、「いい環境、あの声援の中で相撲を取ることは本当に力士として幸せなことだった」と答えているが、それは応援してくれたファンへの感謝であり、日本出身横綱として幸せだったということでは決してないと思う。

 日本出身という重圧が、ケガを負いながらも強行出場、そして治りきらないままに出場~休場を繰り返すことに、多少ならずとも影響はあったはずだ。

 真面目な人だと相撲ジャーナリズムは彼を賞賛する。それなら唯一の日本人横綱、日本出身横綱という呼び名が追い詰めやしないか? をもう少し考えれば良かったんじゃないかと相撲ファンは誰しも感じている。