基準は6つあります。

「国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。」

「漢字2字であること。」749~770年にかけて過去には「天平感宝」「天平神護」のような漢字4文字の元号が使用されていたような例もありましたが、現在では3文字以上のものはだめだということです。

「書きやすいこと」。これは複雑な漢字は使用しないということです。

「読みやすいこと」。実は過去の元号のなかには、どう読むかはっきりわかっていないものもあります。どう読ませるのか、必ずしも歴史の文書に書いていないからです。そのため現在では、最初から読みやすいものを選ぼうという趣旨です。

「これまでに元号又はおくり名としてもちいられたものでないこと。」

「俗用されているものでないこと。」これは、人名や地名、商品名、企業名などで使われていると不可という意味で、このハードルはなかなか高いものです。

 そして、「平成」を決める際には、これらの基準以外にも重要なある条件が加味され決定されました。

 最近では、元号をアルファベットで表記することが少なくありません。おそらく誰もが一度は書いたことがあるでしょう。明治はM、大正はT、昭和はSですので、それ以外のアルファベットになるようにと、Hの平成になったという事情があります。明文化されていないが守られる、このようなルールもあります。

日本の元号は「世界唯一」のもの

 このようにそれぞれのプロセスを経て元号は決定するわけですが、日本以外の国では元号はどうなっているのでしょうか。

 先に答えてしまうと、実は世界広しといえども日本以外に元号が現在も使われている国はありません。たとえば日本に元号を伝えた中国では、どうなってしまったのか見ていきたいと思います。

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 中国では長い間、元号が使われてきましたが、1912年の清朝の滅亡とともに用いられなくなりました。その年に成立した中華民国が、1912年を紀元とする民国暦を採用したためです。これは西暦のようにある年を紀元として年を数える紀年法なのですが、元号ではありません。なぜかというと、しつこく繰り返してしまいますが、帝王がいないからです。

 ただ、その後の中国でも例外として、短期間でいくつかの元号がつくられました。1つは洪憲(こうけん)という元号で、「中華帝国」を樹立した袁世凱が1916年に定めました。

 しかし、袁世凱は3カ月ほどで皇帝退位を宣言したため、この元号もなくなりました。また、日本が満州国を建てた際に、「大同(だいどう)」と「康徳(こうとく)」という元号を使用したのですが、これらは偽年号(ぎねんごう)という扱いを受けており、満州国の滅亡とともに元号も消滅しました。

 また、中国の文明圏であったベトナムでも、かつて元号が使われていました。966年に「太平」、980年に「天福」というようなおめでたい名称の元号もありましたし、四文字の元号が立てられたこともありました。

 その後も元号はずっと使用され続けていましたが、1802年に阮福暎によって建てられた阮朝が第二次世界大戦後に滅亡したのに伴い、ベトナムの元号も姿を消しました。

 このように元号が使われていた国では、帝王がいなくなると同時に元号が消滅しました。そのため現在では、日本だけが元号を使用しているのです。


中牧 弘允(なかまき ひろちか)国立民族学博物館名誉教授 1947年、長野県生まれ。埼玉大学教養学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、吹田市立博物館館長。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事。日本カレンダー暦文化振興協会理事長、千里文化財団理事長。