※写真はイメージです
 多くの児童虐待事件を取材し、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)などの著書があるルポライター・杉山春さんが、カナダで行われているDV加害者の更生プログラムを取材して見えてきたものとは──。

  ◇   ◇   ◇  

 栗原心愛さん(10)が、千葉県野田市の自宅アパートの浴室で、父親の勇一郎容疑者に暴行を受けて亡くなった事件。昨年3月に東京都目黒区で亡くなった船戸結愛さん(5)の事件に重なる。

 どちらの父親も、妻の出身地で再婚し(野田市の場合は同じ妻との再婚)、妻子とともに新たな生活を始めた。間もなく家族を激しくコントロールし、DVが始まり、子どもに暴力を振るった。行政や司法、公的機関の対応が始まると、遠距離を移動。その結果、妻は地縁血縁から引き離された。孤立が深まる。家族の密室化が進む。父親の示す歪んだ価値観が絶対化し、妻は子どもを守ることができない。

 子どもが学校などの公的な機関から姿を消してから、亡くなるまでどちらも約1か月。この間、父親のコントロール=暴力は先鋭化していったのではないか。食事を与えられていなかったとの報道もある。ネグレクトも起きていたのだ。孤立した親はもはや、家の外に怒りをぶつける先も、相談するところも、逃げ出す場所もない。行き詰まったことへの怒りを子どもにぶつけることしかできない。それを一身に受けて子どもは亡くなった。

 どちらの父親も職場での評価はそれなりに高い。だが、彼らの行動を見ると、そのアイデンティティは、仕事にはなく、家族に委ねられているかのようだ。

 それでも、私には疑問が浮かぶ。この2人の父親はそれぞれ子どもを殺したかったのだろうか。

 過去にネグレクト死事件を取材して知ったのは、子どもを亡くしてしまうほど追い詰められる親たちは皆、社会に助けを求めて働きかける力を失っていたということだ。では、子どもに暴力を振るう親は、社会に助けを求める道筋をもっていたのだろうか。

家族に激しい暴力を振るう人がもつ背景

 家族に激しい暴力を振るうのは、一体どのような人たちなのだろうか。

 カナダ・アルバータ州グランドプレーリー市在住の高野嘉之さん(※「高」の表記は「はしごだか」)は、NPO団体ジョンハワードソサエティの職員で、臨床心理士、ケースマネージャーとしてDV加害者の更生プログラムに携わっている。お話を伺った。

「私たちのところには、裁判所命令で、DV加害者が更生プログラムに通ってきます。

 自身と相手との境界線を知り、相手の境界線を尊重することを学ぶアクティビティの一つに、2人1組になり、1人が目をつぶり、もう1人が隣の部屋の席までガイドをするというものがあります。目をつぶった人が、安心して席に着くことが目的です。その過程で、お互いにいろいろなことに気づく。

 相手の動きに反応して、イラっとした。その感情の動きに注目します。なぜ、自分は相手を引っ張りたいと思ったのか。相手が、自分の言うことを聞かないのは自分を見下しているのではないかと感じた、など、何が自分の怒りの引き金になったかを認識することが大事です

 高野さんによれば、その怒りの「引き金」の下には、その人が純粋にもつ希求や切望感、「とても意味があると思っているもの」が隠されているという。

価値観よりももっと人の根本を作っているもの。もっと揺るぎないものです。自分の心の奥底にある、こうでありたいという切望感。親の愛情が欲しいとか……。幸せな家族として暮らしたいとか……。反応的に暴力を振るう人は、その切望感が侵されたと感じる時、恥や恥辱(自分はダメな人間だ、とか、恥ずかしいとか、バカにされているという感情)を感じています

 人当たりがいいと思われてきた人が、何かをきっかけに、抱え込んできた恥の感情に触れた時、反応的に怒りが湧き起こる。あるいはそうした、恥ずかしさに向き合いたくないが故に、社会と距離をとる。

「そうすることで、人との関係障害が引き起こされ、その結果、社会から孤立してしまう」と高野さんは言う。

DV加害者へのセラピーで、最も重要なのが恥辱に直面してもらうことです。しかしまた、最も難しいことでもあります。加害者は自分がしたことを知らないのではないかと言われることもありますが、皆、自分が何をしたかは心の奥にしまってある。それを引っ張り出してこないと変化に結びつかない。こうした恥や恥辱に真摯(しんし)に向き合うことが変化の第一歩です。セラピーでは、早い時期に恥辱の感情を引っ張り出してくることが重要です」