解体された旧庁舎。遺族は跡地にモニュメント設置を求めている
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「大槌町東日本大震災検証報告書」('13年版)によると、3・11での揺れは2日前の地震と同程度で、庁舎に被害はなかった。その後、庁舎前に避難することになる。

《一般職員が課長に、高台に避難すべきとの主張をしたケースもあるが、課長はそれを制止した》

《消防から大津波警報(3メートル)の放送が流された。しかし、町からは大津波警報も避難指示等も出せなかった》

 庁舎前に集合すると、「以前の訓練どおりだ」と思い、幹部職員から一般職員に対し特別な指示は出されなかったという。災害対策本部から戻った部課長は、職員に担当の仕事を指示した。

 ただ、福祉課長だけは職員に対し、中央公民館への避難を指示。総務課長は余震の被害を心配し、発電機を同公民館へ移動するよう指示した。だが、その後も情報取集を優先、県内沿岸自治体では唯一、避難勧告・指示を出さなかった。

同じ苦しみを味わわせてはいけない

 こうした震災の教訓をどう伝えるべきか。

 震災後の8月、初めての町長選で当選したのは碇川豊さん(68)。当時から旧庁舎を保存するのか、解体するのか、町を二分する議論が展開されていた。解体された今となって「遺族から大切なものを失った、との連絡を受けています」と、残念がる。

 大槌町は震災で死者817人、行方不明者417人を出した。

「人口の1割が亡くなったことの重みがあります。同じ苦しみ、悲しみを将来の人に味わわせてはいけません」(碇川さん)

 町長時代、碇川さんは学識経験者や職員遺族ら11人で、旧庁舎に関する「検討委員会」を設置した。

「解体派の遺族も、保存派の遺族も入れました。結果、両論併記となりました」

 最終的には町長の判断に委ねられ、'13年3月、旧庁舎の一部保存が決まった。玄関などの正面部分と屋上付近まで津波が襲った様子を伝えるために、庁舎の2階部分を残すことを表明。止まったままの時計も、そのままにするとしていた。

「建物が大きいので、見たくない人への配慮、今後の維持管理などを考えた結果です。一部保存でも、防災教育の点で十分、津波の恐怖を後世に伝えられる」

「2度と悲劇を繰り返さないために、言葉や映像だけではなく遺構として保存することが重要です」

 とも説明していた。

 こうした一部の庁舎を保存することで、県内外から多くの人が訪れるほか、遺族ら住民としても心のよりどころになっていた面がある。しかし、話は簡単に終わらない。遺族のなかには庁舎を見るだけでつらく、思い出してしまうという声もくすぶっていた。

 その後、町長選で、平野公三氏が「庁舎解体」の公約を掲げ当選を果たす。平野氏は震災当時の総務課長で、町長の職務代理も務めていた経験がある。解体は、復興の足かせになるとの理由だった。

 碇川さんは振り返る。

「私は、町長選の争点にすべきものでないものが争点になったと思いました。壊すと言わなければ落選するとまで言われましたが、私はあえて保存を訴えた。ときが来たら、“いつか残すべき”と言われると思っていたんですが……」