遺構は教訓を伝えると前町長の碇川さん
すべての写真を見る

 町議会でも議論になった。賛否は6対6の同数。そのため、議長裁定で「解体」が決まった。つまりは1票差だったのだ。

 そんな中、庁舎の保存を目指す市民団体『おおづち未来と命を考える会』が発足する。代表は前出の高橋さんだ。そして'18年8月、震災遺構としての十分な価値があるか検証をせずに解体工事に着手したのは違法だとして、遺族と高橋代表の2人が町を提訴した。

 今年1月、盛岡地裁(中村恭裁判長)は、「裁量権の範囲の著しい逸脱や乱用があるとは言えない」として、原告の請求を棄却。すでに旧庁舎は解体された。

後世の人たちを守るために行動すべき

 高橋さんは、なぜ裁判をしてまで保存を訴えたのか。

「津波の被災のたびに、町では石碑を作ったり、供養をしてはいます。しかし、いくら石碑があっても後世に伝わっていないのではないでしょうか。多くの人が亡くなったことを冷静にみつめなければなりません。しかし、後世に伝えることの議論がありませんでした」

 実は、子どもたちが声をあげたときもあった。

 平野公三町長が旧庁舎解体を表明した後、被災箇所の定点観測を続けていた県立大槌高校の『復興研究会』のメンバー有志が「子どもたちのために残してほしい」と直接訴えた。同研究会は、全校生徒の約半数が所属していた。

「建物を残すことは、映像や写真より特別なものがある」

「大槌高校には復興に強い意識を持った生徒が多い。結論を待ってもらい、みんなで考えたい」

 こうした意見が出されていた。

 三陸沿岸は将来もまた津波に見舞われる可能性が大きい。子どもたちのなかには、教訓として、旧庁舎を保存してほしいとの意見もあった。しかし、町としての結論は解体に進んだ。

「8年前の記憶がしっかりしている人は少なくなってきました。高校2年生から下は、はっきり言える子は少ない。大人になったときに津波がくるかもしれない。まだ生まれていない将来の命を守るために、どう行動するかを考えないといけない。でも、大人のなかには、高校生はいずれ(町から)いなくなると言っている人もいました。後世の人たちを守るために行動すべきだと思います」(高橋さん)

 震災遺構は被災地に人々が訪れる理由にもなっていた。いわゆる「被災地観光」だ。反面、興味本位で遺構に来る人がゼロではなく、被災者を傷つける面もあった。その意味では、解体してほしいという声も道理がないわけではない。ただ、解体されれば、震災の風化は加速する。

 碇川さんは言う。

「東日本大震災で町長が亡くなったのは大槌町だけ。負の教訓を伝えていかなければなりません。2度と繰り返さないための遺構であってほしかったですが、いずれ解体を悔やむ時代が来るだろう。そのときは復元もありなのかな」

 保存か、解体かをめぐって町は二分し、議論そのものがタブーとされるようになった。どちらの意見を持つにしても狭い地域であり、人間関係で気を使う。表立って声を上げにくい。

「分断してしまった町を修復できるかも問われます。旧庁舎なきあとの町づくりは、これからがスタートです」(高橋さん)

(取材・文/渋井哲也)


《PROFILE》
しぶい・てつや ◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。