しかし現実は違った。3月11日16時半ごろ、東電から浪江消防署へ15条通報が入る。約1時間前に10条通報を受けたばかりだった渡部さんは、「えっ、15条ですか?」と、ホットラインの電話口で思わず聞き返したのを覚えている。深刻度を増すスピードが、想定よりはるかに速すぎた。

津波が押し寄せ、住宅地もがれきの山となった

 甚大な災害時には、地域消防だけで対応能力を超えてしまう事象が発生するため、全国から救助・救急活動を手伝う「緊急消防援助隊」が集まる。渡部さんたちも到着を心待ちにしていたが、ついに来ることはなかった。応援に向かっていた隊は、原発事故による避難指示が出たため、郡内に入れなかったのだ。

 双葉郡の消防士たちは、連続する救助・救急活動と同時並行で、住民避難誘導・広報および高齢者の避難支援なども行った。限られた人員、消防車・救急車だけで、奔走し続けるしかなかった。

迫りくる原発、沸き起こる恐怖

 一方、住民は避難指示に対応できたのだろうか。双葉郡では、毎年のように原子力防災訓練は行われていたが、大規模な複合災害や、遠方への長期避難は想定されていなかった。平日の日中に行われる訓練の参加は、近隣のごく一部の住民に限られていた。そもそも訓練は心の準備ができ、避難をしてもすぐに戻れるという設定だ。

 11日夜9時には、福島第一原発から半径3キロ圏内に避難指示が発令。翌朝6時から9時の間には、10キロ圏内にある大熊町・双葉町・富岡町および浪江町が町民に避難指示を出した。双葉町から避難をしたある住民は、「渋滞していた国道114号線は歩くほうが早かった」と証言する。

 普段なら車で30分の道のりが4時間かかった。町が指示した場所へ避難する経路は、もともと数本のルートしかない。地震の影響で道路には亀裂や段差があり、迂回も余儀なくされた。

 停電のなか、住民が得られる情報は少なかった。人々は町の広報スピーカー、車のラジオやワンセグで、あるいは避難所となった公民館や体育館、町役場などで口伝えによって、地震・津波の被害状況や、避難に関する情報を知った。

 原発事故については、120億円以上の国費を投じて開発された放射性物質拡散予測システム(SPEEDI)の情報は伝えられず、避難の理由を知らない人や、数日の避難だと思っていた人もいた。警察・消防の放射線防護装備姿を見てから異変に気づいたという証言も多い。

 白い防護服に、防護マスクで避難誘導に立つ姿に「ここにも放射能がきているのか」とピンとくる人もいた。ものものしい装備に対し、住民は普段どおり無防備な姿。疑問と恐怖を感じたとの証言もある。