平成ドラマは、木村拓哉さん抜きには語れないと思いますね」

 と指摘するのは、ドラマに精通するライターの田幸和歌子さん。その言葉を裏づけるかのように、キムタクは、平成の高視聴率ドラマトップ30に7本も主演作をランクインさせている。

「アンチももはやファン(笑)」

 ゴールデンタイムの連ドラ初出演作は『あすなろ白書』('93年)で、3番手という役どころだった。

「いきなり主役ではなく、まずは脇のおいしい役で注目させる段階を踏んだ。うまい戦略です」(田幸さん、以下同)

 以降、『ロングバケーション』('96年)、『ラブジェネレーション』('97年)など、主演作が軒並み視聴率30%超えの大ヒット。

「『ビューティフルライフ』で41・3%とピークを迎えた'00年に、木村さんは結婚。以後、恋愛ドラマをやらなくなりました」

 翌'01年からお仕事ドラマのキムタクが始まる。『HERO』だ。

「この年はアメリカ同時多発テロもあり、不安定な時代でした。強いヒーローが求められ、それをひとり勝ちだった木村さんが背負うことになったような気がします。また、なじみがなかった検事の仕事を世に知らしめた功績も大きい。これ以後、木村さんに“次はどの業界を背負ってもらうか”が焦点になっていきました」

 パイロット、アイスホッケー選手、レーサー、総理大臣……。演じた職業の幅は広くもはや、ひとりキッザニア状態。しかし視聴率は『MR.BRAIN』('09年)で25%を下回り、『アイムホーム』('15年)で20%を割り込んだ。

「よく“何を演じてもキムタク”と言われますが、求められるものを演じたうえでの“木村拓哉像”なので、難しいところではありますよね」

 元・毎日放送のプロデューサーで同志社女子大学の影山貴彦教授は、このように擁護する。

「“え〜、キムタク?”と言いながらも、何げにみんな見てしまう。好き嫌いを超越した存在で、アンチももはやファン(笑)。木村さんのように20代で輝きすぎた人は、ファンがいつまでもその幻影を求めるので、年相応の姿を見せられるのが嫌なんですよ」