平成後期になると、かつて1強を誇ったフジのドラマの衰退がより露わに……。

「'07年は衝撃。視聴率トップ3にフジの作品が1本も入っていません。やがてTBSと日テレがトップ3の常連となり、平成後期にはテレビ朝日がランクインし始めます」(同志社女子大学メディア創造学科の影山貴彦教授)

テレビの見方が物理的に変わった

 テレ朝の躍進を、テレビ評論家の吉田潮さんは、こう分析。

「『科捜研の女』は'99年スタート。『相棒』は'00年に2時間ドラマから始まっています。シリーズ化して視聴率を取る。高年齢者層向けコンテンツの種まきを、テレ朝は平成中期にしっかりとやっていたんですよね」

 さらに、テレビを取り巻く環境そのものが変わった。

「ウィンドウズ95が出たころは“インターネットって何?”と言っていた日本人が、今や1億総ユーザー。ツイッターなどのSNSで自分自身を発信するのにも忙しい。空いた時間に録画やネット配信で視聴することが一般化し、リアルタイムで視聴する人が激減しました。メディアの選択肢が増え、テレビの見方が物理的に変わったんです」(メディア文化論に詳しい上智大学の碓井広義教授)

 視聴率はリアルタイム視聴者で算出され、録画や配信での視聴は含まない。そのため、

平成初期の視聴率30%と、現在の30%とでは、意味あいが違います」

 と影山教授。結果、テレビ全体が低視聴率化し、ドラマも“2ケタなら成功”と言われるように。

 一方、平成最大のヒット作『半沢直樹』の放送は、平成後期の'13年。

「“こんなものが見たい”という潜在的願望にビシッと応えたんでしょうね。しばらくドラマが忘れていた映像のダイナミズムもありました」(碓井教授)

「『半沢直樹』は、男性視聴者の心をつかんだことが大きかった。'11年に『水戸黄門』が終了、地上波から時代劇がなくなったわけですが、'12年に『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』、その翌年に『半沢直樹』が登場。ともに時代劇の勧善懲悪を継承する作品。新たな時代の時代劇なんです」(ドラマに詳しいライターの田幸和歌子さん)