この場所から離れて
できることを考える

 '14年には陸前高田の復興工事が進展し、かつての町を更地にし、盛り土をして嵩上(かさあ)げしたうえに市街地が形成されはじめた。これは地元の人々にとって「2度目の喪失だった」と瀬尾さんは言う。

「震災の半年後、山際の集落に花壇ができたんです。さまざまな人が世話をして広大な花畑になり、人々の大切な“居場所”になりました。でも、復興工事のためにその場所はなくなってしまいました。中心になっていた農機具店のおばちゃんは、復興が進み町が変わることを受け入れつつも“工事のベルトコンベアが止まるとホッとする部分もあるんだ”と話してくれました」

 この時期の瀬尾さんは、自分が聞き手である意味を考えていた。

「『せんだいメディアテーク』の機関誌(『ミルフイユ』5号)に書いた文章では、固有名詞を出さずに、聞いた話をあえて抽象化しました。話し手と聞き手の境界線をあいまいにすることで、聞いたことを自分で引き受けるという意思があります。

 震災の体験と違って、“2度目の喪失”の出来事は、私自身もどこか当事者のような気持ちもあってショックを受けました。町が変わってしまうことが悲しかったんです。でも、そこで当事者になってしまうと、自分の役割は果たせないと思いました。陸前高田から1度離れて、もっと広いものを見ようと、仙台に引っ越しました

 そして、瀬尾さんは日本各地や海外を旅して、陸前高田で見たことを語り、展示を行った。

「阪神・淡路大震災のあった神戸では、“震災は体験した人だけのものじゃない”という言葉を聴きました。また、広島では原爆の爆心地に自宅があった人から、いろいろなお話を教えてもらいました。いまは、災害や戦争といった災厄から、暮らしをつくり直していくときのさまざまな営みを記録したいと思っています

『あわいゆくころ』というタイトルには、震災発生から復興までの日々を記録したいという気持ちがある。

復興が完了すると、この“あわいの日々”は忘れられてしまうかもしれません。でも、亡くなった人や場所を弔おうとすることから生まれた、とても創造的な日々だったと思います。それまであまり意識していなかった町や風景について、根本的に考えた時期だったのではないでしょうか」

 瀬尾さんは、現在も毎月陸前高田に通い、哲学対話の場『けせん、たいわ、つむぎ』などを開催している。また、小森さんらと一般社団法人『NOOK』を設立、展覧会やワークショップも企画する。

こういう仕事をしていると、いい人と思われがちですが、実は欲が深いんです(笑)。自分が関わることで、その場が生きると思えることを、これからもやっていきたいです

ライターは見た! 著者の素顔

 瀬尾さんは穏やかな印象だが、その話からは意志の強さが伝わってきた。そんな彼女は陸前高田に住んでいたとき、夜中に山道を散歩し真っ暗な闇の中でツイートしていたそう。

 なぜ? 「私が町の人とそれ以外の場所に住む人を媒介する存在なんだと確認するための、儀式的な時間でしたね。そうすることで自分も救われるというか」。いま住む仙台は都会なので、「お風呂でツイートしています」と笑う。いま、いちばん安心するのは、花の手入れをしているときだという。

『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』
瀬尾夏美=著 晶文社 2000円(税抜)
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PROFILE●せお・なつみ●1998年、東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。2012年から3年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行う。’15年、宮城県仙台市で一般社団法人『NOOK』を設立。現在は、仙台市に在住

(取材・文/南陀楼綾繁)