40代のカリン(仮名)は、福島第一原子力発電所の事務員として働いているときに、同じ職場で知り合った男性と結婚した。仕事は3次下請け。給料は手取りで15万円前後。

 震災当日は、ちょうど点検作業が終わったときだった。

「原発で何かがあったら、私たちは見殺しだろう」

 カリンの頭の中には「安全神話」はなかった。当時は津波が来る前に原発から出て、自宅に戻ることができたが、停電していた。一方の夫は夜勤だったために家にいた。

 子どもを学校に迎えに行き、実家の両親の安否確認をすませる。その後は避難命令が出たため、福島県の会津地方や埼玉、東京、群馬、千葉、宮城など、転々とする生活を送った。最終的に福島県のいわき市に戻り、震災から7年を迎えようとしたとき、夫の浮気が発覚。なぜわかったのかーー。

震災があったから遊べた夫

「娘に夫の古い携帯電話をわたしていたんです。その電話にLINEの履歴が残っていたんです」

 もともと夫はカリンに対し、モラルハラスメントやドメスティックバイオレンスが激しかった。

「なんだ、その胸の形は!ガリガリじゃないか!」

「好きな人ができたから、もうお前のことは好きじゃない!」

「もうお前のことは好きじゃないから、帰らない」

 こんなことを言うのは当たり前だった。どんなに向き合っても自分の立場が悪くなると、反論ができなくなり暴力をふるう夫。

「暴力はいつもじゃないですが、逃げ場がなくなると手が出るんです。震災前は、原発の運転員だったので、出会いはなく、遊ぶにも限度があったんですが、震災後は営業の仕事をするようになったんです。ある意味、震災があったから遊べたんでしょう」

 娘も夫の浮気を知っている。そんな娘から「お母さん、ガマンしなくていいよ」と言われた。

 ただ、浮気したのは震災後が初めてではない。結婚して2週間後、「俺は遊ぶから」と言われた言葉が今でも忘れられない。その直後、携帯電話の履歴からすぐに浮気が発覚したが、夫は詫びることなく携帯を見られたことで逆ギレした。

 なぜカリンは、そんな男と結婚したのだろうか。

「いい人に見えたんです。同棲するようになって、妊娠。結婚は出会って、2、3か月後でした。デートも重ねていませんので、いつか私のことを思ってくれればいいと思っていました。でも振り返れば、挙式のときもケンカしていたので、いい思い出はありません」

 震災後、夫はほぼ家にいることはなく、朝帰りが多くなり、女遊びにさらに拍車がかかった。浮気がバレたとき、夫はこう言ったという。

「自分は、かあちゃんとやるつもりはない」

 まるで家政婦のような扱いだ。娘はもう高校生になっており、巻き込むわけにもいかない。

「彼は人前ではずっといい人でした。“本当の彼”を知っている私は、ずっとガマンしてきたんです。娘もいろいろとわかる年ごろになり、夫のことを『あんなバカ、いらない』と言っています

 カリンは離婚の決意を固めた。

 1万5000人超の人が命を落とし、現在でも約2500人が行方不明のままである東日本大震災。そんな経験をしても、家族を守ることができないダメ男がいる一方で、そんな男に期待してしまう女性たちもいる。

 しかし、震災後の大きな生活の変化によって、彼女たちが気づかされたことは大きかった。多くの大切なものを失ったが、震災は人生の選択肢を与えてくれたものでもあったーー。


渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。