自分なりの価値観を
つかむことが大切

 物語の中盤には、テレビを見ている“大勢の人”へ向けた仕事をうまくこなすことができない山ちゃんが、悶々と悩む場面がある。そんな山ちゃんに対して、夢ちゃんは次のようなセリフを放った。

大勢の人って、本当にいるんですか。いるかどうかわからない大勢の人に向けて語ろうとして、結局、なにも語れていないんじゃないですか。だから、いつもあんなに疲れているんじゃないですか

ドリアン助川さん 撮影/森田晃博
ドリアン助川さん 撮影/森田晃博
【写真】インタビューに受け答えするドリアン助川さん

 その後、山ちゃんは夢ちゃんに触発されて詩を書きはじめる。

「構成作家は、テレビというマスの世界で何千万人が見る可能性のあるものを書きます。その対極にあるのは、何百冊しか売れない詩集の世界だと思うんです。

 例えば、谷川俊太郎のような有名人は別として、詩だけで食べている詩人はほとんどいないはずなんです。彼らにとって詩は食べるための手段じゃなくて、生きるための表現なんですよね」

 ドリアンさんいわく、山ちゃんは自身の分身のような存在なのだという。

「人生の中で大切なのは、自分なりの価値観を見いだすことだと思うんです。例えば、ガードレールを作った人のことは、きっと誰も知らないですよね。でも、自動車が街を走るようになり、事故が起きたことでガードレールというものを発明した人が確かにいるんです。

 ガードレールを発明しても有名にはなれないけれど、その人は自分の人生の中でガードレールというオリジナルものを見いだした。山ちゃんは、大勢の人にではなく、自分の言葉が伝わる人に向けて詩を書く人生をつかんだんです

 ドリアンさんが書く小説からは“普通”からはずれてしまった人たちへの温かな眼差しが伝わってくる。その理由は何なのだろうか。

「自分に秀でた何かがあってバリバリ生きてきたならば、織田信長が主人公のような小説を書いていたかもしれない。でも、僕はスポーツでも音楽でも、なんとか頑張って人並みに近づける程度の子どもでしたし、今も何もできない人間なんです。

 だから、できない人の気持ちがよくわかるというか、むしろできちゃうやつの気持ちがわからないんです」

 最後に読者に向けて、次のような言葉をもらった。

親の介護とか子どものこととか、いろいろなものとぶつかっている年代の方もいらっしゃると思いますが、だからこそ、人生にとって何が大切なのか、勇気を持って見いださないといけないと思うんです。自分なりの価値観をつかめるかつかめないかで、老後が大きく変わっていくような気がしますから。この作品がそのヒントになれたら幸いです

ライターは見た!著者の素顔

 取材を行ったドリアンさんの事務所には、体長が大人の胸の高さほどもあるクマのぬいぐるみが鎮座。

「酔っぱらって明け方に新宿から歩いて帰っているとき、生ゴミと一緒に捨てられていたクマのぬいぐるみを見つけ、本当はいけないのかもしれませんが、連れて帰ることにしたんです。

 そうしたら、この子が来てから仕事が好調になりまして。途中で乗った電車でうっかり眠って終点まで行ってしまい、朝のラッシュが始まるなか、恥ずかしい思いをして連れてきたかいがありました(笑)」

『新宿の猫』ドリアン助川=著 
ポプラ社 1500円(税抜)
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PROFILE
●どりあん・すけがわ●1962年、東京都生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成。1995年から2000年までラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め伝説的な人気を博す。『あん』、『ピンザの島』、『カラスのジョンソン』、『線量計と奥の細道』など著書多数

<取材・文/熊谷あづさ>