ギャル女子高生の受験物語を描き、書籍はベストセラー、映画は興行収入28億円の大ヒットと、社会現象にもなった『ビリギャル』。そのモデルとなった小林さんが、物語の続きとなる大学生活と就職、結婚と離婚、そして、これからの自分を赤裸々に語った。

「先生に会わなかったら、たぶん大学は行っていないです、どこにも。“私には意味ないから大学は行かずに働こう”って本気で思っていましたから」

 もし坪田先生に会っていなかったら。もし『ビリギャル』じゃなかったら。そんな質問をすると、“使命”にも気づくことはなかった、と小林さやかさんは話す。そう、現在31歳の彼女は、“元ビリギャル”だ─。

 塾講師の坪田信貴氏が書き、映画化された累計120万部のベストセラー『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。その“ビリギャル”である小林さんが、『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』(マガジンハウス)を書きあげた。

「本や映画だけでは伝わりきれないメッセージがたくさんあって、いつか自分の言葉で本を書きたいと思っていました。高校は進学校ではなかったし、私、本当に勉強はできなかったんです。“本気で頑張ることが大事なんだ”と、もっと多くの人に知ってもらいたいんです

 ビリギャルとして有名になった後、ネット上には“もともと進学校だった”“頭がよかった”などと、物語を否定する声も見受けられた。小林さんは“真実”を届けるためにもペンをとった。

 慶應義塾大学卒業後、ウエディングプランナーとして活躍した小林さんは26歳で独立。現在は、教育機関を中心に、全国で年間100回を超える講演活動を行い、自身の経験を伝えている。が……、

「私もそうだったんですが、高校生はまじめな話をすると容赦なく寝る(笑)。なので、“オトナって腐ってるんだなあって、そのとき思ったよ”みたいに、常に生徒側に立つこと、わざと口悪く話したりして、“この人の話なら聞いてもいいかな”と思ってもらえるように心がけています」(小林さん 以下同)

 自身もビリギャルだったからこそ、言葉は生徒の心に届くのだろう。また、彼女のよき理解者である母親をはじめとした、家族の話は親世代からも支持を得ているという。

「ビリギャルは家族の物語でもあり、主人公は“ああちゃん”なんです」

 小林さんが「ああちゃん」と呼ぶのは「いつも穏やかで菩薩のよう」な母親で、いつも笑って娘の言うことを否定せずに受け入れてきたそう。特に驚きのエピソードが、死ぬ気の思いで入学した慶應大学を、ある理由により「やめたい」と言い出したとき。

「いま考えるとゾッとします(笑)。当時付き合っていた大学の先輩と別れることになって。たかが大学生の恋愛だけど、そのときは人生のすべてで過呼吸になるくらい泣いて、ああちゃんに“大学やめて名古屋に帰りたい”と打ち明けたんです。すると、“さやかが決めたんなら、それでいいと思うよ”と。ああちゃんが無理して高い塾代を払い、やっとの思いで入学した大学なのに……。そういう人なんです」

 そんな“ああちゃん”のように「やさしいお母さん」になることを夢見てきた小林さん。’14年に、大学生時代のバイト先の店長と、出会いから7年にして結婚するも、約4年間で“円満”離婚。この結婚と離婚の経験からも、たくさんのことを学んだという。

「ここを書かずして、この本を作ることはできなかった。前の夫とは今もよき友人です」