「母に言われてすぐ吹っ切れました。体外受精までやりきってみよう。そう考えたら、気持ちが前を向きました」

 結果、39歳で妊娠。40歳と3日で待望の長男・悠くんを出産。

イメージする力の強さ

「妊娠を願っていたとき、夫の小さいころの写真をベッド脇に貼って“この子を産みたい”とビジュアルでイメージ。さらに妊婦さんの裸体の顔の部分に自分の横顔の写真を貼り、“これが私だ”と思い込みました(笑)」

 今となっては笑い話だが、愛にとってイメージする力は、現役のころから夢を叶える最大の武器なのだ。

 妊活の末に子宝にも恵まれた愛だったが、次のキャリアを築くうえでどうしても叶えたい目標がまだ残されていた。それは「ウィッシュリスト」にも早い段階から書き入れていた“大学院に入ってコーチ学を学ぶ”ということ。

「世界のトップ100の男女の選手に女性コーチが極端に少ない。なぜ少ないのか、阻害する要因はなんなのか。とても興味がありました」

 2015年4月から順天堂大学大学院に入学。

「翌年7月に長男・悠を授かると、育児、そしてテレビ出演や雑誌などの取材、そして講演活動もこなしながら、夕方6時から夜9時まで授業に出席。想像以上に大変でした」

 修士論文のテーマは『エリートプロテニスにおける女性コーチのキャリア選択条件』。

 修士論文を書くために、テレビ解説を務めるグランドスラムのテニス中継の合間を縫って女性コーチを捕まえ、取材して回った。

順天堂大学大学院を卒業。子育てと仕事を両立しながら時間を捻出して勉強に励んだ
順天堂大学大学院を卒業。子育てと仕事を両立しながら時間を捻出して勉強に励んだ

 このテーマには、テニス界への愛の思いが込められているのとともに、将来は指導者としてトッププレーヤーを育ててみたいという愛自身の夢もあった。

「自分の子どもだけでなくジュニア全体の育成に目が向きました。中学生くらいまでの光る子、原石を見るとワクワクする」

 思い返せば、愛自身が本格的にテニスを始めたのは7歳のときだった。

 その翌年、アンドレ・アガシやモニカ・セレシュなどのトッププレーヤーを何人も生んだ世界的なテニススクールの日本校が藤沢に誕生。小学校2年生の夏休み明け、愛は試験に合格。この日が愛にとって「テニス人生」の幕開けとなった。

「大切なことは、すべてテニスが教えてくれた」

 そんな思いから昨年立ち上げたのが、国際テニス連盟公認の『Ai Sugiyama Cup』。世界各国から18歳以下の男女がシングルス/ダブルスに分かれてしのぎを削っている。

 しかし、長男の悠くんをみずからコーチする可能性について尋ねると、首を横に振った。

「私は母というコーチと一緒でなければスランプを乗り越えられなかったし、トップ10入りもできなかった。今でも母には感謝しています。

 でも、悠に対しては母のままでいたい

 親子二人三脚に失敗して、親子関係まで失うケースもある。愛自身も1度はその関係性に疑問を抱いたことがあった。師弟と親子という2つの関係性の中で生きるのは一長一短、薄氷を踏むような日々であった。だからこそ自身の歩んだ道を肯定しつつも、息子には本人が自分の生きる道を見いだしてほしいと願っている。

「これから私が『ウィッシュリスト』で最も力を入れていきたいのが、この大会。今は子育てを最優先にしていますが、やがて悠が小学校に上がるころには、テニスコートに立つ機会をもっと増やしたい。

 パーム・インターナショナル・スポーツ・クラブからAi Sugiyama Cupに出場する選手を育てるのも夢のひとつです」

 日本のトップ選手のひとり、穂積絵莉もこのクラブの卒業生。昨年から穂積の指導をする機会も増えている。

 女性コーチが圧倒的に少ない今のテニス界を変え、「第2の杉山愛を育てる」ことこそ、神様が与えてくれた最大のミッションと、愛は確信している。

大学院で学んだコーチ学を活かし自分のクラブから日本のトップ選手を育てることが新たな夢
大学院で学んだコーチ学を活かし自分のクラブから日本のトップ選手を育てることが新たな夢

取材・文/島右近
しま・うこん 放送作家、映像プロデューサー。文化、スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材・文筆活動を続けてきた。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』(竹書房新書)を上梓