自分から逃げたい、かなえの場合

 Twitterで「死にたい」や「自殺」を検索する秋元かなえ(21、仮名)は、友達に「私が死んだからうれしい?」と、よく聞くという。「うれしい」とは言われたことはないが、仮に言われたとしても悲しいとは感じないという。それだけ喜怒哀楽の感情が、彼女にはない。

 周囲に適応できないと感じはじめたのは、中学1年のときだ。

 ある日、突然、教室に入れなくなった。保健室に向かおうとしたところ、目の前で担任の先生と養護教諭が口論していた。担任は私に向かって「教室に入らないなら、学校に来なくていい」と怒鳴り、これを聞いたときに「消えたい」と思うようになった。

「ただ『消えたい』という思いは誰にも言っていません。このころから、自分の時間が止まってしまった感じで、感情が次第に消えていったんです。その後、ずっと『消えたい』と思っています」

 中学時代は教室には行かず、カウンセリングルームに通い続けた。そうすると、“出席扱い”になるためだ。図書室に行っていたこともあるが、とにかく人間と関わるのを頑(かたく)なに嫌がった。

「学校の教室に行けない私を見て、母親は『病院へ連れて行かないと』と思っていました。でも、本音は学校にも行ってもらいたい。学校までは道のりが遠く、自転車と電車を使って2時間近くかかるため、母親はさらに迷惑だと思っていたと思います。そういうことを考えるだけで、やはりここでも『消えたい』と私は思ってしまうのです

 こうした思いが募り、中学1年のときから壁に頭をぶつけるようになっていた。

「私の場合、手首を切るよりも、頭をぶつけていました。“記憶したくない”と思ったときに、そのような行動をしていました。気分が落ち込んだときも、“何かをしないといけない”、そういう衝動にかられたときも同じことをしていました。別に、『死にたい』を連呼してもよかったし、手首をカッターで切ってもよかった。けど私は、なぜか壁に頭をぶつけていました」