息子と2人生活、そして5回目の受験

 早々に実家を出てからは、小さなアパートで親子2人の生活を始めた。

 息子を保育園に預けて、半年予備校に通い、修了後は、会計事務所でフルタイムで働きながら独学で勉強した。

「夕方、保育園にお迎えに行って、ごはんを食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけてから、洗濯して。ようやく机に向かえるのは23時ごろ。莫大な勉強量なので、明け方までかかることも多くて、いつも睡眠不足。ヘトヘトでしたね」

 経済的な貧しさも、追い打ちをかけた。

「収入は手取り12万。家賃を払って、受験費用を貯金したら、食費に使えるのは、わずか月1万円。生活はカツカツで、近所のサンドイッチ屋さんで大量にパンの耳をもらって、節約するほどでした」

 貧しい生活も、合格すれば笑い話になるが、年に1度の試験は、何度受けても不合格。3年、4年と落ち続けるうち、心は荒んでいった。

「実家は絶縁状態で頼れないし、別れた夫も約束の養育費をすぐに払わなくなっていました。通帳を記帳に行くと、今月も入ってないと落ち込むので、銀行にも行けなかったな。人間不信になって、人生、後悔だらけ。交差点で信号待ちしながら、車が突っ込んでくればラクになれるのにって思ったこともあります

 そんな太田垣さんにとって、唯一の光は、ほかでもない息子の存在だった。

「子ども心に、私の試験を気にしていたんですね。神社に行けば、“お母さんが受かりますように”って小さな手を合わせてくれて。子どもがいたから、どうにか踏みとどまれたんです。それからは、洗面台の鏡やトイレまで、暗記の付箋だらけになるほど、限界を超えて勉強しました」

 朗報が届いたのは、丸6年が過ぎた、5回目の受験でのこと。

 このとき、親子で喜びながら、確信していたという。

「これで貧困生活から抜け出せる」と。

「太田垣章子です! って名乗ったら、間髪入れずに続けました。無給で1か月、働かせてください!」

 司法書士の資格があれば、就職先は引く手あまたと思いきや、現実は厳しかった。

「36歳、実務経験なしのシングルマザーですからね。履歴書を30通以上送っても、面接すらしてもらえませんでした」

 そこで、ようやく面接にこぎつけた大阪の司法書士事務所で、「無給で1か月!」と、押し切ったわけだ。

 試用期間を持ちこたえ、本採用されてからは、石にかじりつくように働いた。

 1年が過ぎ、仕事に慣れてからは、休日返上で、飛び込み営業も始めた。

「自分で仕事を取ってくれば、売り上げの4割が基本給に上乗せされたんです。給料は手取りで15万円。これじゃ、以前と変わらない。息子を大学に行かせるためにも、自力で稼ごうと、土日に息子をボーイスカウトに行かせて、不動産会社を回りました。事務所が得意とする、不動産登記の仕事を取るために」

 しかし、何十軒回っても、門前払い。話すら聞いてもらえなかった。