当然、ウチの猫たちが何を言っているのかなんて、アタシにはさっぱりわからない。だけど、寝るときには布団にもぐり込んできて“一緒に寝たいアピール”をしてくるし、ごはんのお皿が空になっていると、自分の頭をアタシのひざにツンツンして訴えてきたりもするの。トイレ掃除をしてほしいときなんかは、ひたすらに「ニャアーニャアー」って、うるさいったらありゃしない(笑)

 でもきっと、何かしらのアクションをとっていくなかで、気持ちを認識し合って互いに学習していくのよ。だから猫たちから合図があったときには、「あ〜そうだったわね」とか「ゴメンゴメン」って言いながら、なんとなく2匹の主張を理解したつもりで生活してる。

 こんな日常のやりとりも、共通言語では意思疎通ができないからこその楽しみであったり、愛情を深める手助けになったりするのよね。

最期を恐れるより、日々を大切に

 こうして私はウチの子たちと強い絆で結ばれつつあるワケだけれど、動物と暮らすことを躊躇(ちゅうちょ)する人たちの間でたびたび交わされる言葉が、冒頭で言った「ペットは死んだときがかわいそうだから飼えない」。

 動物と暮らしてみようと考えたことがある人なら一度は抱く感情だと思うんだけど、最期の別れがつらいなんて当たり前よ。すごく愛情を注いで、ともに生きてきた子であればなおさらね。

 でも、悲しみたくないからとハナから共生をあきらめてしまうよりも、「うちの子になったからには、どの子よりも幸せにしてあげたい!」とか、「最期の一瞬までめいっぱい楽しく過ごそう!」とか、そんなふうに考えて踏み出せるほうが、自分の生活も彩り豊かなものになると思うの。私も2匹と暮らし始めてから、毎日がより刺激的になったし、周りに対しても優しくなれたわよ。

 それに、私たちが迎え入れることで、一匹でも多くの尊い命を救えるかもしれない。近年、暴力や殺傷など、非人道的な理由で死んでしまう動物もいる。アタシ、もし虐待の現場なんて目撃しちゃったら、加害者に何するかわからない……。

 動物たちは、目の前の人間が善人か悪人かを見極めてついていくことなんてできないの。なんなら、お腹をすかせているときに優しくしてくれた相手が、その子にとっての“いい人”なの。だから、真の愛情を注げる、そして動物に寄り添える人が一緒に暮らすことで、きっと彼らを救えるのよ。