テニス界の未来を担う逸材と期待されるも、行きすぎた英才教育により、どん底を見た西村佳奈美選手。“家族の支え”の重要さを身をもって体験したからこそ、伝えられるものとは?

褒められた記憶が、ほとんどない

「同年代の子と試合をしていてもストロークでは負ける気がしませんでした。自分には素質があるなって。それは子ども心にも感じていました」

 そう穏やかに笑うのは、プロテニスプレーヤーの西村佳奈美選手。旧姓・辻─。その名を聞くと、思い出す人も少なくないはずだ。 

 4歳からテニスを始めるとメキメキと頭角を現し、12歳で全日本選手権U14を優勝。ジュニア(14歳以下)世界一を決める大会で優勝を果たすと、14歳3か月で史上最年少プロテニスプレーヤーに。今でこそ大坂なおみ選手が話題を集めているけど、彼女こそ次世代のエースとして熱視線を注がれていた存在だった。

テニスを先に始めていた兄が練習相手だったこともあって、同世代には力負けする気はありませんでした。強くなるためにあれこれ考えることが楽しくてしかたなかった

 なぜ過去形なのか? 少し間をあけ、言葉を続ける。

「次第に父の練習方針についていけなくなりました。体力的に追い込まれるというわけではなかったのですが、精神的にきつくて……。私は中学生になったばかり。毎日、ダメ出しをされ、母も父には何も言ってくれない。褒められた記憶が、ほとんどないんですよね

 英才教育と言えば、聞こえはいいが、アメのないムチばかりの毎日に見えてしまったと振り返る。

「14歳でのプロデビューも、父が大人の事情で勝手に決めてしまったこと。正直、気持ちが追いついていませんでした。精神的な不安によって、マイナスのことばかり考えてしまう。成績も落ち込んでいき、父との関係も悪化。唯一、心が休まるのは父のいない遠征先だけでした

 さらに、資金面の問題が直撃する。海外を転戦するプロテニスの世界ではスポンサー契約などがとても重要になるが、「契約面でも父がひとり相撲をとりがちだった」と振り返るように、周囲との連携もうまくいかなかったという。資金面に苦労することでよいコーチにも恵まれない。

「胃潰瘍で入院したり、円形脱毛症になったり……限界でした。解放されたかった」

 そして19歳のとき、西村選手は引退を決断─。

「ずっとテニス漬けだったから、引退後はすべてが新鮮で楽しかった!(笑) バイトをして、自分で稼いだお金が自分の口座に振り込まれるだけで感激しました。テニスの賞金は、すべて親が管理していたので」