アフリカの文化を日本へ

 場所は神奈川県相模原市で自らが経営する店を使うことにし、名前は『ノヴィーニェ こども食堂』にした。ノヴィーニェとはトニーさんが属するエウェ族の言葉で、家族や仲間を意味する

 トニーさんの脳裏に浮かんだのは、生まれ育ったアフリカでの食事風景だ。近隣の人たちが集まって、ひとつの鍋にみんなが手を突っ込んで一緒に食事をすることが当たり前だった。

「何人来ても、おかわりをしても足りなくなることがないようにしたい」と大量の食材を仕込むトニーさん
「何人来ても、おかわりをしても足りなくなることがないようにしたい」と大量の食材を仕込むトニーさん
【写真】子ども食堂のようす&ガーナに建設中の学校

「私のお父さんはお金持ちではなかったけど、クリスマスとか、部族のイベントがあるたびに、ヤギをさばいて、牛をさばいて。いっぱい料理作って、知らない人でも、違う宗教の人でも、みんなにふるまってた

 そういう食事の場が文化を伝える交流の場にもなっていたの。そんなアフリカ文化のいいところを日本にも伝えたいなと

 '16年2月。わずか2か月の準備で迎えたオープン初日。トニーさんは順子さんや友人にも手伝ってもらい、トマトベースのアフリカ風カレー、グリルチキン、アフリカンドーナツなど、子どもが喜びそうな料理をたくさん用意した

 大皿に盛り、好きなだけ取ってもらう。食事の後は遊びながら学べるプログラムも考えた。参加費は無料だ

 ところが、来てくれたのはわずか数人……

 どうしたら、困っている子どもに届くのか?

もう、やっちゃおう

 トニーさんは友人にも頼んで行政機関などあちこち相談に行ったが、心ない言葉を浴びせられたこともある。

何でアフリカの人が出てくるの。アフリカでやってよ

 それでも、トニーさんはめげなかった。

逆に、力が出たよ。ハハハハハ。よし、見せてやるよと。私、走り出したら止まらない人間だから(笑)。もう、やっちゃおう、やっちゃおう、やっちゃおうと

 ラジオで告知を流したり、タウンニュースで紹介してもらったり。最初に作ったチラシには貧困という言葉を使っていたが、「誰でも来て」と書き直したのもよかったのだろう。少しずつ参加者が増えていった。

 相模原に加えて、横浜市青葉台で経営する店でも開始。さらに、平日夜にも子ども食堂を始めた。今では毎月2か所で4回の子ども食堂を開いており、毎回数十人の子どもが訪れる。