タワマンに住んだ経験が活きた設定に 

 主人公が従事する「ガラス清掃」という仕事を描こうと思ったきっかけはあるのでしょうか。

「タワーマンションに住んだときからですね。ガラス清掃屋さんって仕事が面白いなと思ったんです。それがきっかけです。彼らは、いろんなマンションやビルの中も見ることができる。だけど職業倫理をして自らの存在をさも幽霊のように消している場合も多いと思うんです。

 いまもタワマンに住んでいるんですけど、清掃の日を月の初めに知らされて、その日にはカーテンを閉めたりしてたんですけど、次第に気にならなくなってきて。外でガラスを磨いていても何も思わなくなってくるというか。その感覚がとても不思議というか面白いなと」

 今回の作品で重要な役割を果たすのは老女、そして命の危険と背中合わせのガラス清掃という仕事。どちらも色濃く“死”を意識させます。

死って、今まで僕が書いてきた社会学の本でも評論でも書きにくいテーマだと思うんです。特に『平成くん、さようなら』の安楽死などはそうだと思うんですけど、結論を述べにくい。“死後の世界があるのかないのか”“死とは何なのか”、これらを主観的に語るって、フィクションじゃないと無理だと思うんです。

 “人間が死をどうとらえてきたか”については、もちろん社会学の言葉で語れるんですけど、死が何かとか死んだらどうなるっていうのは、社会学の言葉では語りにくい。

 一方、小説の言葉では語りやすくなるなと思っていて、死は小説で書きたいテーマだと。そもそも単行本にしていない小説の1作目を「文学界」で書いているんですけど、これを書こうと思ったのが祖母が亡くなりそうなときだったんです。

 元気だった祖母が倒れて入院し、それから亡くなるまで半年あったんですが、そのとき感じた感情とか思いは、ノンフィクションや評論の言葉では書きにくかった。だけど何か残したいと思い、小説なら逆にフィクションだから感じたことを素直に残せるのではないかなと。

 それが1作目だったので、“死”は僕の中で小説を書くうえでは、結構、大事というか大きなモチーフではあります」

 非正規雇用で働く20代の翔太と富裕層の老女、2人を出会わせた意図は何ですか。

「別々の理由で世界に絶望している2人が出会うことでこの世界も悪くないなと思うような心情の変化を描きたかった。全然違う立場にいるんだけど、実は同じ感情を抱いている2人……っていうのは書きたいことのひとつで、社会ってそういうものじゃないかと思うんですね。

 一番トップにいる人の悩みと底辺にいる人の悩みは同じかもしれない。世の中は必ずしも格差ってものだけじゃない。階級・格差を超えて、彼らは共通して感じている寂しさとか何かがあると思うんです。だから実は上と下って近いんじゃないかなと思って書いた部分もあります

ライターは見た! 著者の素顔

 勝手ながら年上女性に可愛がられそうな雰囲気の古市さん。案の定、年上転がし発言を連発!
「僕自身、祖母が大好きでしたし、年上の方との付き合いも多い。作品の老女についてはモデルのような人がいます。モデルというほど直接的ではないのかもしれませんが、台詞とかを考えるときに何となく頭にチラチラしていた人。80歳ぐらいの方なんですけど。そういう年は離れているけど、考えることが通じ合っちゃうような人との交流は僕に影響を与えているかな」

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【写真】年上女性に可愛がられそう? お茶目に笑う古市憲寿

ふるいち・のりとし 1985年、東京都生まれ。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に分析、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で注目される。著書に『誰の味方でもありません』(新潮社)など多数。

取材・文/ガンガーラ田津美