事故から6か月目、神戸市の兵庫県リハビリテーション中央病院に転院した。作業療法士の安藤芽久美さん(35)が当時の倉橋さんの様子を語る。

「当院にいらしたときはまだ上手に車いすにも座れない状態だったんですが“私はひとり暮らしをするんや”という明確な目標をお持ちでした」

 まずはベッドの上で起きたり座ったりする動作から始め、次に車いすに移って、自分でこいで筋力と体力をつける練習を長い時間をかけて行った。

「ひたむきな努力家で頑張りは抜きん出ていましたね。ひとりで車いすに乗れるようになると、ほとんど部屋には戻らずに広場でずっとこぐ練習をしていました。指もなかなかうまく使えませんから、訓練室でハサミを使うなど細々としたことの練習をずっとしていました。その姿はやはり目立ちますし、周りの人に影響を与えていましたね。

 あの子が頑張っているから自分も頑張ってみようかというふうに、みんなを勇気づけていました」

自分が好きな服を着たい

リハビリ中も「復学できるやろ、と何の根拠もなく思っていた」という
リハビリ中も「復学できるやろ、と何の根拠もなく思っていた」という
【写真】トランポリンで空を舞う倉橋さん、リハビリ生活中も常に笑顔だった

 自立して生活するために排泄や着替え、入浴などの練習もした。排尿はカテーテルを使って導尿を行い、数時間ごとにパックを取り換える。排便は座薬挿入機を使い、決まった時間に出すようにする。今はだいたい週2回、3~5時間をかけて行いルーティン化しているという。

 衣類は障害者が着脱しやすいファスナーやマジックテープがついたものもあるが、自分の好きなものを着たいと、手間がかかっても普通の衣類を着る訓練をした。入浴はお風呂用の車いすに乗って行う方法を習った。見守り続けた作業療法士の安藤さんが言う。

「工夫をすればいろいろなことができるようになるんです。倉橋さんも自分でできることがどんどん増えて、周囲と励まし合う中で、本当の明るさや強さを取り戻していったのではないかと思います」

 同じ病棟には事故で手を切断してしまった人やショックで精神的につらくなってしまっている人、現実を受け入れられずにいる人もいた。倉橋さんはそうした人たちと話すことでさまざまな境遇や考えに触れていく。

「周りも私のことをあの人は何であんなヘラヘラしてるんだろうと思ったはずです。でも、そうやって交流する中で、みんなで頑張れたかなと思います。障害者同士、はたから見ればどっちも同じに見えるかもしれないですけど、自分たちにしてみたら、“あの人のほうが手がきくからあれができるんや”とか違いがあるんで、こんな手で助け合いながら、わちゃわちゃやっていましたね」

 '13年1月、病院と同じ敷地内にある自立生活訓練センターに移り、車の運転やパソコンの操作などを練習した。同10月、大学と同じ埼玉県内にある国立障害者リハビリテーションセンターの自立支援局へ入り、ひとり暮らしをしながら大学に通う準備を進めていった。'14年4月、ついに念願の復学を果たす。