また、自身が携わるお笑いについて次のように語る(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年8月12日)。1980年生まれの大悟は、思春期にダウンタウンの笑いを全身に浴びて育ってきた。しかしそれは、「お笑いの教科書でいうと10ページ目から始めちゃってる」ことを意味するのではないか、そして同世代の芸人たちの多くもそうなのではないか。

「ダウンタウンさんに憧れて芸人の世界入ってるから、実は20年、お笑いの1ページ目をやらずに育ってきたわけ」

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 それに気づいたきっかけが、ほかでもない志村けんとの出会いだ。芸人になって20数年。大悟は志村のコント番組にレギュラー出演しながら、自分や周囲の芸人たちが読み飛ばしてきた「お笑いの教科書の1ページ目」を学んでいるのだという。自分のお笑い観もまた大悟は冷静に観察し、更新しているのだ。

「悲哀」と「可笑しみ」

 大悟には昔気質の芸人というイメージがある。だが他方で、冷静な観察者でもある。共演者を、お笑いを、そして自分自身をもじっと観察しているのだ。そう考えると確かに、ロケ中に灰皿に飛びつく大悟は、昔気質の芸人のパロディーのようにも感じる。そこには一歩ひいた視線がある。イメージだけで料理が作れてしまうのも、その観察眼ゆえかもしれない。

 東京のテレビで活躍するようになった大悟は、瀬戸内海の小さな島で生まれた。採石を地場産業とするその島は、雇う側と雇われる側の差が子どもながらによくわかるとこだったという。そこで大悟は、雇われる側の家で育った。そんな幼少期の思い出を、大悟はしばしば悲哀と可笑しみが絡み合ったエピソードとして語る。

 大悟はずっと昔から、日本の周縁の、さらにその周縁から社会をじっと観察し、笑いに変えてきたのだ。


文・飲用てれび(@inyou_te)